特によくないのが、そうした思考のアウトソーシングとSNSの結びつきです。要は「ボクの主張はTVに出てる専門家の○○先生と同じ、だから間違ってるはずはないぞ! うぉううぉう」な人たちを惹きつけてしまう。

與那覇: 注意すべきは、TVの視聴者が「専門家に逆らうやつは許さないぞ、叩け!」となるトピックには共通点があって、恐怖や不安を掻き立てるものなんですよ。 たとえばウイルスの流行であり、ウクライナで起きた現実の戦争です。いま自分が感じている「怖さ」を、専門家の権威を使って祓い除けたいとする、まさにアウトソーシングなんですね。 (中 略) だから専門家の側も「自分は不安に憑りつかれた人たちの、一時的なアウトソース需要を集めているだけだよな」と、わかった上で付き合わないといけない。

同記事、4頁目

そうなのです。「…この専門家さん、信用していいのかな?」と思ったとき、その人の履歴とか、今のポスト(どこ大学の教授か)とか、話に出てくる知識の量とかを見てはいけない。判定ポイントはそこじゃなくて、その人が自分の置かれた現状を「正しくわきまえているか」なんですね。

専門家の側が、いま、不安に駆られて「あなたの言うことなら何でも信じる!」という人が寄ってきてるな、ヤバいな、これは社会が健全じゃないなと自覚して、抑制的に振る舞うのか。

それとも「よっしゃ。こいつらは私の言うこと何でも聞くから、気に入らないやつが居たら、そいつに向かって突撃させれば私無双。もはやネ申!」モードに入ってしまうのか。ここで、専門家の真価が問われるわけです。

まさに同じ理由で、SNSのレスバで「論破」してるかどうかも、専門家の信頼度を測る指標にはなりません(笑)。対談の2回目にいわく――

舟津:Z世代化されたコミュ力、つまり現代社会のコミュ力は、第三者に見せつけるものだということです。たとえば、私たち2人がしゃべっているときに私がコミュ力の高さを見せつけようと思ったら、與那覇先生ではなくて外の人に向けて話すようになる。

與那覇:その手法の帝王がひろゆき氏で(苦笑)、実は彼は、自分で本にそう書いているんですよね。目の前の相手を納得させるのではなく、外から見ている観客が「こっちの勝ちだ」と思ってくれるように喋るのが、最強の論破術なんだと。

対談2回目(6月27日、3頁目)

ここで言及したひろゆきさんの本は、平成末の2018年に出た『論破力』なんですけど、驚いたことに令和のコロナとウクライナを経てみたら、2024年にはまったく同じハウツーを大学教授がドヤ顔で誇り、論壇誌がチヤホヤして掲載するようになっていたんですねぇ……(苦笑)。

私がこのテーマで本を書くなら、『ひろゆき化する学者たち』みたくなるんでしょうが、さて、そこまで行きますかね。個人的にはそろそろホンモノを起用して、この間の「専門家依存」を反省してゆく誌面作りが望ましいと思うのですが、どうしてもイヤならしかたありませんな。

……そんな余韻も踏まえつつ、今の社会のさまざまな問題を切りとる対談になっていると思っています。興味を惹いた箇所のリンクからでOKですので、多くの方にお目通しいただければ幸甚です!

(ヘッダーは、実在する商品より。要は、これの学者版が出たら誰か嬉しいんですか? って話ですよね。まぁ積極的に作ってほしがる「専門家」も、稀には居るのかもしれませんが……)

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年7月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。