薩摩藩は江戸時代を代表する雄藩として知られており、幕末には西郷隆盛をはじめとする傑物を多く輩出しました。
そんな薩摩藩ですが、郷中教育という他の藩とは異なった独自の教育方法が行われていたことはあまり知られていません。
果たして郷中教育とはどのようなものなのでしょうか?
本記事では郷中教育とは何かについて取り上げつつ、どうしてこのような教育が行われるようになったのかについて紹介していきます。
なおこの研究は、鹿児島大学稲盛アカデミー研究紀要1巻p. 125-145に詳細が書かれています。
郷中教育とは?
郷中(ごじゅう)教育とは、武士の子供たちを対象に行われていた薩摩藩の教育方法です。
この郷中とは地域ごとに形成したグループ(郷中)のことを指します。
なお地域の大きさはおおむね4~5町(436m~545m)四方程度です。
当時の武士たちは家格に沿って住む場所が厳格に決められていたことから、郷中のメンバーは同じ程度の家格で構成されていました。
教育方法は年長者が年少者を指導する「相互教育」の形式が取られており、リーダーシップや仲間意識を育むことが目的とされていました。
具体的には小稚児(こちご、6-10歳)や長稚児(おせちご、11-15歳)に二才(にせ、15-25歳)が教えていくというスタイルを取っており、特に決まった先生がいるわけではありませんでした。
この郷中教育では読み書きそろばんといった基礎的な学習内容から剣術や弓術といった武芸、さらには川遊びや山登りなどといった体力づくりがてらのアクティビティーが行われていました。
なおこれらの多くは先述したように、二才が稚児たちを指導していくというスタイルで行われていたものの、高度な学問や武芸などといった二才でも教えるのが難しいものは、長老(おせんし、妻帯した先輩)が教えることもありました。
また郷中教育では話し合いを非常に重視しており、郷中教育のメンバーたちは相手の立場を認めながら、問題を解決するために全員で一致して話し合いを進めていったのです。
それによって問題改善のための最善策を作り上げていき、最後は全員が納得するような形で結論を出していきました。