中川原海岸は、三重県津市の国立大からほど近い場所にある海岸であり、散歩や釣りに適した長閑なスポットとなっている。しかし、その一方でこの海岸はその清閑さとは裏腹に厳しく遊泳禁止が謳われており、果ては心霊スポットとのいわくも名高い場所にもなっている。

 心霊スポットと見なされるようになったきっかけは、半世紀以上前に発生したある事件だと言われている。戦後間もない1955年7月28日、当地の橋北(きょうほく)中学校の水泳訓練に参加した生徒のうち、36人もの女子生徒がこの海岸で溺死するという痛ましい事件が発生した。「橋北中学校水難事件」として知られるこの事件は、全国の学校にプールが設置されるきっかけにもなった。

 なんらかの悲惨な事故や事件が実際に起こったことで、いわくつきとなる心霊スポットというのは珍しくない。しかし、中河原海岸のそうしたいわくは水難事件によって起こるようになったのではなく、実はそれ以前からいわくつきだったのではないかと言われることがある。

 その理由は、この事件から10年前のこと。奇しくも同日に津市では、米軍による空襲があり多くの人々が命を失った。この空襲で命を失った250余人の犠牲者の亡骸は、中河原海岸の砂浜に埋められたと言われている。そして、この水難事件はその空襲の犠牲者たちが訓練生たちを水中に引きずり込んだと言われており、「亡霊たちに足をつかまれ海中に引きずり込まれた」という生還者の証言も雑誌に取り上げられたことで一気に心霊スポットとして広まった。

 防空頭巾をかぶった幽霊やもんぺ姿の幽霊が現れる、変死をとげる者が後を絶たない、海岸に建てられている乙女の像が涙を流す、など中河原海岸にまつわる心霊体験談はいくつか散見されているが、いずれも空襲や水難事件に由来しているものとなっている。

戦後最大の水難事件の現場となった三重県の心霊スポット「中河原海岸」の真相
(画像=イメージ画像 Created with DALL·E,『TOCANA』より 引用)

 だが、実は水難事件の証言については脚色されたものであることがのちに判明している。ことの発端は、『女性自身』(1963年7月)に記載されていた生還者の手記とされているものであるが、およそ50年後になって、証言者当人が実際は「一緒に溺れている人が足を引っ張っているかと思った」と回答していたことが明らになったのだ。

 さらにダメ押しとして、空襲の犠牲者が浜辺に埋葬されたという話についても、これまで幾度となく海岸が整備されたにも関わらず一度も遺体が出てきたという記録が無いという。水難事件の日と同日に津市で空襲があったことは事実であるが、津空襲についてはその日だけの話ではない。それより数日前の7月24日には、市中心部が攻撃され1,000人を超える死者を出すほど大きな被害を受けたことは間違いない。だが水難事件の日と同日という触れ込みに関しては、偶然といって差し支えないだろう。

 悲惨な事件や歴史があったことは間違いない。しかし、一つの雑誌のいわば脚色記事で心霊スポットという印象が強調されてしまったのは、地元民としてもやはり良い気はしないだろう。

 1932年には、京都から海水浴で訪れていた小学校児童が6名水死、翌1933年には京都からの臨海訓練で訪れた小学校の児童12名が水死と、橋北中学校の事件以前から難事故が後を絶たない海岸であったことは間違いない。

 現在では、異常流のような科学的検証も得られており、このことが多くの死者を出した原因である可能性も大いに考えられるだろう。いたずらに煽って語られるようでは、逆に死者たちも浮かばれないという話だ。

【本記事は「ミステリーニュースステーション・ATLAS(アトラス)」からの提供です】

文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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提供元・TOCANA

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