徳川は、将軍家(宗家)と御三家、御三卿だけが名乗れる。明治になって、田安家出身の家達を16代目として継がせたので、慶喜とその子孫の処遇のために、慶喜家も公爵にした。

ところが、最近、慶喜家を絶家とすることが決まり、紀州家も見通しが立っていないようだ。宗家も17代の家正の後、外孫の恒孝を会津松平家分家から養子にし、その子が立憲民主党から選挙に出馬した家広で、19代目を継いだ。

だが、ベトナム人の夫人との間に子がない。一方、男子の数が多いのが、御三卿の一つ田安家で、他家に養子を出したりしている。

皇位継承問題で旧宮家が注目されているが、男子の数が多いのは、久邇家、竹田家、東久邇家である。特に、竹田家と東久邇家は明治天皇の、さらに東久邇家は昭和天皇の子孫であるので、皇族の養子候補として注目されている。

ただ、これらの家は現皇室と血縁関係が濃すぎるので、愛子さまや佳子さまのお相手としては旧宮家の中では目立つ存在でない。だが、賀陽家は、愛子さまのお相手候補として注目されているようだ。

ちなみに、この分野については、『家系図でわかる 日本の上流階級 この国を動かす「名家」「名門」のすべて』(清談社Publico)や『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)の著書もぜひ参考にしてほしい。