【追悼マルチェロ・ガンディーニ】ランボルギーニ・ミウラやカウンタックなど憧れを造形化した名匠の作品たち
2024年4月に開催された「オートモビルカウンシル」では、マルチェロ・ガンディーニの追悼としてカロッツエリア・ベルトーネ時代の5台が展示された。ベルトーネの主任デザイナー抜擢時、ガンディーニはカーデザイン初心者だったという(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

「オートモビルカウンシル」でガンディーニ氏の追悼展を開催

カーデザイナーは、憧れを造形化するアーティストである。
マルチェロ・ガンディーニは20代の若さで
カロッツエリア・ベルトーネのチーフデザイナーに就任。
ランボルギーニ・ミウラを皮切りに、
エスパーダ、カウンタック、
フィアットX1/9、ランチア・ストラトスなど、
数々の名車を生み出した。
自身は控えめな人柄で、自分を飾ることはなかったという。
惜しくも先日、天国に旅立った名匠を振り返る。

【追悼マルチェロ・ガンディーニ】ランボルギーニ・ミウラやカウンタックなど憧れを造形化した名匠の作品たち
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

 ガンディーニの自宅はトリノ郊外の丘の上に建っていた。30年余り前に初めて訪ねたとき、「あなたの業績を表す言葉として、スーパーカーのデザイナーか、スーパーなカーデザイナーか、どちらが相応しい?」と問い掛けた。するとガンディーニは穏やかに笑いなから、「どちらでもないよ。私はただのカーデザイナーだ」と答えてくれた。

 そんなマルチェロ・ガンディーニが3月13日に亡くなり、1ヶ月後の「オートモビルカウンシル」で急遽、彼がデザインした5台の名車による追悼展が行われた。いずれも名門カロッツェリア、ベルトーネに在籍した時期の作品が並んだ。

【追悼マルチェロ・ガンディーニ】ランボルギーニ・ミウラやカウンタックなど憧れを造形化した名匠の作品たち
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

 1965年11月にベルトーネのチーフデザイナーだったジウジアーロが退職し、後任の座を得たのがガンディーニである。二人は同じ1938年生まれだが、すでに実績を積み重ねていたジウジアーロに対して、ガンディーニにカーデザインの経験はほとんどなかった。

 音楽家の父の勧めで文化芸術系の5年制高校に進んだが、機械好きの彼にとって授業は退屈でしかない。親の期待に背いて中退すると、エンジニアリングを独学しながら、自活するために友人のクルマの改造からディスコの内装まで、頼まれるものは何でもデザインした。
 やがてカーデザインへの夢を膨らませたガンディーニは作品集をまとめ、友人たちに見せて回る。幸運にもそれがベルトーネの総帥、ヌッチオ・ベルトーネの目に止まったのだが、ヌッチオから吉報が届くまでには1年以上もかかった。27歳の無名の新人が名門のチーフに抜擢された瞬間だった。

【追悼マルチェロ・ガンディーニ】ランボルギーニ・ミウラやカウンタックなど憧れを造形化した名匠の作品たち
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)
【追悼マルチェロ・ガンディーニ】ランボルギーニ・ミウラやカウンタックなど憧れを造形化した名匠の作品たち
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

 翌1966年3月のジュネーブショーでベルトーネはミウラを発表し、これがガンディーニの出世作になった。ただしヌッチオの意向があったのだろう、ミウラにはジウジアーロ時代のベルトーネの作風が残る。
 ガンディーニが独自スタイルを開拓するのは、量産車で言えば1968年発表のエスパーダからだ。カウンタックやX1/9、ストラトスなどのシャープなウエッジシェイプは、1970年代のデザイントレンドを牽引した。

 1979年にベルトーネを辞したガンディーニはルノーと5年間の独占契約を結び、2代目サンクなどを手掛けている。その後は自宅に設けたスタジオを拠点に、フリーランスとしてディアブロ、マセラティの2代目ギブリや4代目クアトロポルテなどをデザインした。

 間違いなく巨匠だが、彼は自慢話などしない。「自分の本性は楽天的で怠惰だ。それを知っているから、仕事に没頭する」と語っていたのを思い出す。享年85歳だった。

【追悼マルチェロ・ガンディーニ】ランボルギーニ・ミウラやカウンタックなど憧れを造形化した名匠の作品たち
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

ランボルギーニ・ミウラ P400(1968年)/V12を横置きミッドシップしたスーパースポーツ。そのデザインの作者について、「前任チーフデザイナーのジウジアーロではないか?」との議論があるが、それはジウジアーロ本人が否定している。当時のジウジアーロの作風を映すフォルムなのは確かだが、それはチーフデザイナーの交代期をスムーズに乗り越えたい、というヌッチオ・ベルトーネ社長の作戦だったと考えるのが妥当だ。

【追悼マルチェロ・ガンディーニ】ランボルギーニ・ミウラやカウンタックなど憧れを造形化した名匠の作品たち
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

ランボルギーニ・カウンタック LP400(1975年)/1971年にショーカーとしてデビューしたカウンタックは、世界に衝撃を与えた。ミウラの後継車として開発されたが、V12を縦置きするレイアウトを反映してコクピットを前進させたプロポーションが、当時はきわめて画期的だったからだ。重量配分がリヤヘビーになりすぎないように、V12の前にギヤボックスを置くレイアウトも斬新で、これはリヤオーバーハングの短縮にも寄与した。

【追悼マルチェロ・ガンディーニ】ランボルギーニ・ミウラやカウンタックなど憧れを造形化した名匠の作品たち
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

ランチア・ストラトスHF ストラダーレ(1975年)/ベルトーネは70年にストラトス・ゼロを発表した。ガンディーニがデザインした全高わずか85cmのウエッジシェイプのショーカーだ。しかしこのデザインが量産ストラトスにつながったわけではない。ガンディーニはコンパクトなフィアットX1/9を手掛けた経験を、V6をミッドシップするストラトスのデザインに活かした。

【追悼マルチェロ・ガンディーニ】ランボルギーニ・ミウラやカウンタックなど憧れを造形化した名匠の作品たち
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

ディーノ308GT4(1974年)/フェラーリは伝統的にピニンファリーナにデザインを託してきたが、フィアット・ブランドで売るディーノ系では例外を設けた。それを代表するのが73年デビューのディーノ308GT4だ。ガンディーニが手掛けたそのシャープなウエッジシェイプは、ピニンファリーナ流の流麗さとは一線を画す。V8をミッドシップする2+2シーターだが、ベースとなったV6・2座の246GTに比べ、ホイールベースは210mm延ばしただけだった。

【追悼マルチェロ・ガンディーニ】ランボルギーニ・ミウラやカウンタックなど憧れを造形化した名匠の作品たち
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

ランボルギーニ・エスパーダ・シリーズ2(1970年)/エスパーダの前身は、1967年のモナコGPでグレース王妃を乗せてパレードしたマルツァル。ランボルギーニ初の4座クーペとして開発されたマルツァルだったが、生産化には至らず、代わりに2座GTのエスパーダが68年にデビューした。しかしガンディーニがマルツァルで意図したシャープなフォルムは、エスパーダにしっかりと受け継がれている。それは66年のミウラからガンディーニ自身が脱皮し、新境地を目指し始めた証でもあった。

提供元・CAR and DRIVER

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