1969年:モデル「T」ブレイクアウト
1969年、ひっそりとではあるが、amtは自社製品の品番改訂に踏み切った。1969年次のアニュアルキットの品番は「Y」ではじまる3桁の番号に、それ以外のキットはすべて「T」ではじまる3桁の番号にことごとくまとめられた。アニュアルキットの「Y」はイヤーモデル(Year model)をあらわし、「T」はなんらかのテーマを与えられたモデル(Themed model)であることを示すものだった。
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通常、プラモデルの品番というものは、製造メーカーとその流通パートナー以外にはなんら意味をもたない識別子にすぎないが、裏を返せばメーカーにとってこれほど重要な意味をもつものもなかった。1967年には伝統のトロフィー・シリーズ、その前年にはクラフツマン・シリーズという決して小さくないラインナップの展開をとりやめたamtにとって、これは暗に新しい方針の表明でもあった。
連載をずっとお読みの方にとっては繰り返しとなるが、アニュアルキット=イヤーモデルは、デトロイトの自動車メーカーが毎年決まったシーズンに発表するニューモデルを、即時性をもってキット化することが価値の中心にある。自動車メーカーの開発準備期間とキットのそれが重複するため、模型メーカーには必然的に守秘義務が課せられ、製品化ライセンスは特殊な性格を帯びる。
他方、この条件にあてはまらないモデル――かつてのamtトロフィー・シリーズやクラフツマン・シリーズ、ほぼ単発に終わったチェッカーフラッグ・シリーズなどもこれに該当する――は、特定のテーマにもとづく模型メーカーの自主的な開発姿勢がまずあり、必要に応じて自動車メーカーや関係諸機関・個人による許諾を取りつけるかたちを取る。イヤーモデル(Y)のキューは模型メーカーの外からやってきて、テーマモデル(T)のそれは模型メーカーの内からあらわれると考えればわかりやすいかもしれない。
1969年にamtが注力したのは、この「T」ナンバーキットの可能性を模索すること――すなわち、ひとつでも多くのテーマ(製品化の方便)をひねり出すことであった。この取り組みによってamtは、アニュアルキットのラインナップを優に超える数の「T」ナンバーキットを市場に送り込んだ。
それぞれのキットに与えられた「テーマ」は、かつてトロフィー・シリーズとして結実したようなホットロッド愛好者の感性をくすぐるようなものから、一見その車とはなんの関係もなさそうな時事風俗を風刺・パロディーめかして取り入れたもの、あるいはボックスアートにカートゥーン・タッチをただ盛り込んだだけのものまで、きわめて多岐にわたっていた。
いくつか代表的な例を、傾向ごとに分類したうえで紹介してみよう。(なお、小見出しのシリーズ名はあくまで仮称であり、後世のコレクターが便宜上そう呼ぶ名前をひとまず冠してある)
●「レーシング・シーン」シリーズ:
1969年リリースの「T」ナンバーキットのうち、従来のamtのブランドイメージに忠実なもの。既存のアニュアルキットないしトロフィー・シリーズ金型による成型品に、レースの現場の風景をスナップ的に切り取ったボックスアートをあつらえて販売された。ボックストップには文字の類がなく、魅力的な「車のある風景画」としてじゅうぶん成立するものだった。
●「ランドスケープ」シリーズ:
前述の「レーシング・シーン」の派生ともいえるもので、既存のキットに風景画としてじゅうぶん魅力的な文字のない箱絵をあしらうという仕様は同じ。メキシコとの国境やアラスカの雪深い森を舞台に、密入国者の取り締まりにあたるパトロールや、地の果てを求めて狩猟を兼ねたキャンプにやってきた旅行者といった人々とそのサービス・ビークルを描いている。素材は必然的にピックアップ・トラックから選ばれた。
●「アド・オン」シリーズ:
前述のふたつのように、車単体だけではなくその車が溶け込んだ風景を箱に描くところまでは同じだが、既存キットになんらかのアド・オン(おまけパーツ)を追加して、それをテーマとして文字情報も含めより鮮明に打ち出したもの。サーフ・ボードを追加したステーションワゴン、ソープボックス・ダービー・カーを付属させたクーペ・ユーティリティーなどがあった。
●「国境の南」シリーズ:
1969年当時でもじゅうぶんセンシティブな時事問題であったキューバ問題を風刺的・カリカチュア的なタッチのボックスアートに取り入れたもの。各キットには「チェ・リヴィエラ」「ハバナ・バナナ」「ビアード・オブ・パラダイス」といった言葉遊びによるタイトルが付けられている。内容は既存の、旧くなったアニュアルキットそのものである。
●「ワイルド・フラワー」シリーズ:
1960年代カウンターカルチャーのなかでもとくに大きな盛り上がりをみせたヒッピー・ムーブメントを受けて、既存のキットにサイケデリックな模様のデカールとカリカチュア化されたけばけばしいボックスアートをあてて販売されたシリーズ。「ウルトラ・ヴァイオレット」「バーズ・オブ・パラダイス」「マグノリア・モーラー」「ピオニー・ポニー」「サンフラワー・パワー」「バターカップ・ボム」といった花の名前をもじったタイトルが付けられている。内容は既存のプロモーショナルモデルを組立キット化した簡素なカーブサイドモデル。
●「デザート・レース」シリーズ:
当時人気のあったコミック・ストリップ『ビートル・ベイリー』の絵柄をもっとユーモラスに単純化したような箱絵をあしらい、当時大人気だったハンナ・バーベラの『チキチキマシン猛レース』を骨抜きにしてみせたようなのんびりした架空のラリーをテーマとしたもの。「テキーラ・モッキンバード」「ブーンドック・ボマー」「カリエンテ・バンディード」「エル・ランチェロ・グランデ」といったメキシコ風のタイトルが付けられている。キットはかつてのクラフツマン・シリーズに準じた簡素なカーブサイドモデル。
●「ボニー&クライド」シリーズ:
1967年に大ヒットを記録したアメリカン・ニューシネマ『俺たちに明日はない』の影響を受け、既存のトロフィー・シリーズ用金型から’32フォード・ロードスター(同クーペに較べて不人気だった)とヴィッキー(ヴィクトリア)にそれぞれパルプ・マガジンのような箱絵とペーパークラフトのジオラマをセットしたもの。箱には弾痕を模したパンチホールがあけられている。キット自体はトロフィー・シリーズ由来で精密にできており、組立説明書もトロフィー・シリーズの印があるものをそのまま流用している。
※列挙したものはいずれも一例で、それぞれのシリーズにまたがるようなテーマを持った単発キットも数多く発売された。あまりにも点数が多いため、個々の生産数はとても少なく、本連載でも入手がかなわず写真にてご紹介できないものが多々ある。心苦しいかぎりだが何卒ご笑容願いたい。
ざっと俯瞰してみると、これまでのamtの生真面目な路線に馴れ親しんだ者が唖然とするようなバラエティーである。新規開発はなく、すべては焼き直しで、テーマはなにか取ってつけたもののようにも思える。しかしここで読者に一考願いたいのは、自動車メーカーと模型メーカーが一軸両輪となって開発・展開にあたるアニュアルキットから身を興したキットメーカーにとって、一度市場に出した製品をそのまま再販するということがいかに難しく、想定外のことであったかという点である。
アニュアルキットのライセンスはこうした「再販」をまったく視野にいれておらず、その多くは(年単位で)継続的なものだったため、たとえば姿の変わった’67フォード・マスタングをキット化するにあたって’66までのいわゆる「初代」マスタングの金型を再販のために残しておくという考え方はありえなかったのである。
前掲した「T」ナンバーキット群のワイルドフラワー・シリーズにピオニー・ポニーという’66マスタング・ハードトップのキットが存在するが、当時のamtの手許には、もはや’66マスタング・ハードトップのアニュアルキット金型などひとつも存在しなかった。同アニュアル金型はすでにジョージ・バリス・デザインのソニー&シェール・カスタムへとすっかり姿を変えており、ピオニー・ポニーはまだ手つかずだった’66マスタング・ハードトップのプロモーショナルモデル金型を流用することで賄われた。
なにもサイケデリックでけばけばしい化粧など施さず、’66マスタング・ハードトップとして売ればよかったのに……といった意見は後世のわれわれユーザーによるまったくアンフェアな後知恵であって、当時のamtは愚かだったわけでもふざけていたわけでもなく、ただライセンスに忠実であったがために「こうせざるをえなかった」だけのことであった。
オーセンティックなファクトリーストックの’66フォード・マスタング・ハードトップのキットをふたたび世に送り出すためには、アニュアルキットという「制度」の死を待つしかなかった。しかし、その死は1969年当時にはまだまだ遠い先の話であった。
「T」ナンバーキットの生みの親は正統派のアニュアルキットなのであり、もっといえば現在のわれわれが手にするオーセンティックなファクトリーストック・キットの育ての親は「T」ナンバーキットなのだ。視点を変えれば、これらのキットによって糊口をしのぐことなしには、もっと多くの旧アニュアルキット/プロモーショナルモデル金型が即時スクラップの憂き目に遭っていたかもしれない。
「T」ナンバーキットはその奇想天外なコスメティクスにもかかわらず、amtの期待に充分応えられる程度の売り上げをしかと打ち立てている。アメリカ社会にはまだ充分すぎるほどの子どもたちが存在し、プラモデルというホビーはまだ充分すぎるほどに魅力的で、吸血鬼と化したマニアにしか効かない銀の弾丸のようになってしまった「本格的」キットに較べて、「T」ナンバーキットは1969年当時の年少者にとってはるかに親しみやすかった。
キーワードのひとつは「風刺」
キューバ問題のようなセンシティブな風刺を含んだキットもまた、カートゥーン・タッチのボックスアートはとてもポップで、1960年代の終わりには「クール」ですらあった(カウンターカルチャーの時代、かっこよさのスタイルもまた「ホット」から「クール」へと確実に変わりつつあった)。
世情を体制への忖度なしに風刺するパロディー雑誌として当時250万部に迫る発行部数を叩き出していた「MADマガジン」を知る読者ならおわかりのとおり、どぎつい風刺やパロディーはカウンターカルチャーの嵐吹く当時のアメリカではとにかく金になった。
同誌の表紙をレギュラーとして飾る、間の抜けた表情の青年アルフレッド・E・ニューマンは時代の「顔」となり、彼のお決まりのフレーズ「What, Me worry?(『え、心配してどうすんの?』)」は流行語にすらなった。amtの「T」ナンバーキットのひとつ、デザート・レース・シリーズの箱絵をよくみてみると、この有名なフレーズを巧みにもじった「What, Me hurry?(『え、急いでどうすんの?』)」の文字がこっそり埋め込まれており、amtがこうした社会のムードにも敏感に対応しようとしていたことは明白だった。
このように穿った見方をせずとも、1969年のamtは「T」ナンバーキットにおいて「ボックスアートそのものに価値が宿る」という事実を突きとめたといえるだろう。アニュアルキットはもちろん、従来のトロフィー・シリーズ、クラフツマン・シリーズなどはいずれも「車そのもの」を訴求する以外の手段をもたなかった。そうした単調な路線はいつのまにか行き詰まり、「壁」となってしまった。
amtはそのことにいち早く気づき、その是非を検証することはすべて後世にぶん投げて、リッチなコンテクスト(背景、ひいてはテーマ)のなかに車単体を置いてみることで壁を叩き壊そうとした。
「このジャロピー・フォードにはチューンされたフラットヘッドが」云々から「ユタ州の北西、ボンネヴィル・ソルトフラッツは今日も快晴」「国境を越えると、そこはヒゲ男どものパラダイスだった」「のんびり行こうよ、俺たちは」へ――これは決してamtの変節・転向ではなく、ポジティブなブレイクアウトだった。
一方でamtは「Y」ナンバーキット――すなわち1969年次のアニュアルキットに、それまで一度たりとも書いたことがなかったような殊勝なフレーズを書き込んで展開する。だがその詳細については、MPC・ジョーハンらの動向とともに次回へと譲りたい。
※今回、復刻版「ポリグラス・ギャッサー 」同「1968エルカミーノ」の画像は、有限会社プラッツよりご提供いただいた。
※「サーフワゴン」「チェ・リビエラ」「1969エルカミーノ(Y914)」「フォードF-100キャンパー」は、アメリカ車模型専門店FLEETWOOD(Tel.0774-32-1953)のご協力をいただき撮影した。
※今回も読者の方より画像の提供をいただいた。「ハバナ・バナナ」(タイトル画像含む)、「1969シボレー」(MPC)は渡邉準一さん、「ボニー&クライド」は岩坂浩司さんの撮影です。
以上、ありがとうございました。
写真:渡邉準一、羽田 洋、秦 正史、畔蒜幸雄、岩坂浩司
文・bantowblog/提供元・CARSMEET WEB
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