倭の五王とは、中国の歴史書に登場する五人の王、讃・珍・済・興・武のことである。413年の倭王讃の入貢を伝える『晋書』をはじめとして『宋書』『梁書』などに記載されており、当時の日本(倭国)と朝鮮半島間の朝貢事情がうかがえるものとなっている。
これまでに、当時の日本の史料と中国側の史料が、どのように結び付けられるかについて様々な議論がなされている。倭の五王についても、倭国の王すなわち天皇を指しているのではないかということから、古代のどの天皇に比定するか多くの説が唱えられてきた。その中で、最も見解の一致を見せているのが五人目の倭王武だ。
現在、武は「雄略天皇」であることが定説となっている。古代の天皇の実在性については多くの議論が交わされているが、第21代天皇である雄略天皇は、実在が確認された最古の天皇であると言われている。年代の比定のほか、「武」という名前についても、即位時の名前「わかたけ」に「幼武」の字が宛てられていたことから、朝貢の際に中国風の王名として武の字が用いられたとも考えられている。
雄略天皇は、先代である安康天皇の弟とされており、武勇とカリスマを供えた人物であったとされる一方で、安康天皇が暗殺された際には犯人である眉輪王だけでなく、黒幕と見なして兄坂合黒彦皇子(さかあいのくろひこのみこ)と八釣白彦皇子(やつりのしろひこのみこ)までも殺害、さらに即位後も意にそぐわない臣下を容赦なく殺害するなど、暴君「大悪(いたくあしくまします)天皇」などとしても語られている。
古くは、熊本県の江田船山古墳から鉄剣に一部解読のできない銘文が発見され、さらに埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文に「獲加多支鹵」というほぼ同様といえる記載が見つかった。この「ワカタケル」という銘文が記紀にある雄略天皇の別称「ワカタケ」に非常に類似していたことから、雄略天皇の実在が確認されるに至ったのだ。
この時代には、織物技術や漢字といった文化も取り入れられ、大王という存在は他の豪族に比して圧倒的に有利な立場に立つことができた。特に、雄略天皇の時代はそうしたヤマト政権の勢力が一挙に強化された時期であると言われている。実際、即位後の記述にしては暴虐さは殆ど書かれることがなく、「有徳天皇」と称され大いに皇室を発展させた存在となっている。
だが、治世の転換に大きく影響を与えた雄略天皇は、列島東方の征戦を繰り広げながらも病によってついにその完成に到達することはなかった。その後も、子の清寧天皇を最後に雄略の血統も途絶えてしまい、その末期は一転して悲劇的なものとなってしまった。このため、雄略天皇が「悲劇の英雄」として語られることも多い。
因みに、雄略天皇はそのいわば好戦的な部分や悲劇的な英雄としての描かれ方から「倭建命」(ヤマトタケル)伝承の基になったのではないかとも言われている。その他、残虐な天皇として、「大泊瀬」(おおせはつ)の名も共通し、しかも断絶という事柄の共通点から第25代天皇である武烈天皇と同一人物ではないかとする説もあるという。
実在が確実視されている雄略天皇とはいえ、なおもその存在は不思議で謎めいたままだ。
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文=黒蠍けいすけ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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提供元・TOCANA
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