東京都知事選において、都民の関心を低く候補者がいないことが、都民の不幸であることを、繰り返して述べてきたが、では、今回の都知事選は果たして民主主義の具現化の選挙と言えるだろうか?
政治は民主主義であるべきで、それはつまり民意の具現であり、主権者である民衆の多数決で最適解を探る手法そのものが「最適解」だ。これから新しいイデオロギーや政治的統治手法が誕生するかもしれないが、しかし、民主的選挙こそが、今の人類の「最適解」であることを否定する人はいない。
共産主義に傾倒している人たちは、共産主義こそが最高の政治体制であり、国家統治の有り様だと勘違いしているが、共産主義自体は、ソ連と東西ドイツの崩壊によって、人類に否定されてしまった。
共産主義、マルクス主義は、頭の体操としては面白いが、経済を疲弊させ、格差を生み、特権階級を生むことは出来ても、国民を豊かにし、文化と文明を発展させることは事実上、不可能であって、地球上に不要だと判断されたからこそ、地上から消え去っているイデオロギーなのだ。
これも繰り返し言ってるが、そもそも、ドイツで生まれた共産主義によってウクライナ(小ロシア)で最初のソヴィエト(評議会)が生まれ、あれよあれよとロシア連邦各国に共産主義勢力が台頭し、ソヴィエト連邦が誕生したが、それをアジアに見合う統治のあり方に理論武装させたのは日本であって、そこで頭の体操が楽しいと感じた李漢俊がアパートで仲間内で始めたのが今の中国共産党の原型だ。
つまり、60年代の学生運動で共産党の武力闘争をやめたことに反発した当時の大学生とほとんど同じ知識レベルででっち上げたのが中国共産党なのだ。
同時に共産主義者の根底には、共産主義者以外は人間ではないという差別主義が色濃く残る。それは知性主義とか反知性主義といったあたりの議論にも通じるし、共産主義者の中にあるエリート意識とも、あい通じる。
日本共産党を見るがいい。学派学閥にこれほど影響を受けている政党はなく、赤の他人から見て明らかに能力を欠いていると思われる政治家であっても、東大出身者というだけで重用されている議員がいるではないか。