黒坂岳央です。

現代はGAFAMのプラットフォーム上のスコアで価値を判断される時代といえる。ブログや動画を出せば検索順位やチャンネル登録者、書籍や映画はAmazonレビューに評価される。GAFAM以外でも旅行における宿泊施設のレビュー、Steamのゲームの評価など、我々は知らず知らずの内に重力のように評価という鎖に心も信用も縛り付けられている。

一昔前は評価とはすなわち、収入の多寡や社会的地位だったが、今どきは高収入や高キャリアであることよりも、フォロワー数や支持者が多い人の方がウケが良いケースすらある。

現代人は、AI評価経済のドレイのように思えることもある。思考停止でスコアを神による絶対的指標と捉えているケースが少なくないからだ。この風潮は本当に健全と言えるのだろうか?

travelism/iStock

何をいうか?より誰がいうか?

誰もが耳馴染みの言葉に「何をいうか?ではなく誰がいうか?」というものがある。「人生は学歴じゃないよ」という言葉は東大卒が言うと強い説得力を持つが、学歴というシグナルを持たない人物がいうと「お前が言うな」と反発を受けるだろう。自分もこの発想自体は大きな誤りはないと考える。

だが問題は「誰がいうか?」ではなく「影響力がある人がいうか?」に変わってしまっていることだ。実社会で有力者を演じていても、ネット上でフォロワー数という数字に反映されていなければ信用されない、それが現代社会である。

「お前はえらそうなことをいうが、フォロワー数は大した事ないではないか」といった指摘をよく見るが、これはフォロワー数が絶対的指標と疑わない思考停止と過度にスコアへの盲信する態度の表れである。