人の数を数えるという作業はそこまで難しいものではありません。
例えば、出席確認のために生徒の数を数えたり、飲み会の参加人数を数えたりした経験はだれでも一度はあるでしょう。
では「海に全部で何頭のクジラがいるか数えてください」といわれたら、あなたならどのようにして数えますか?
研究者たちの答えは「クジラ1頭1頭に片っ端から名前をつけていくことで個体を識別し、クジラたちの戸籍簿を作る」という、単純なパワープレイです。
今回75名の研究者、46の研究機関、および4292人の市民ボランティアが協力し、2001年から2021年にかけて、北太平洋全域に生息するザトウクジラの頭数を調べました。
その結果、ザトウクジラの個体数は2013年頃までは増え続け、それ以降は減り続けていることが明らかとなりました。
この研究成果は、2024年2月28日付の科学誌『Royal Society Open Science』に掲載されました。
研究者×市民×AIの共同作業でクジラの頭数を数える
日本も位置する、北太平洋にはザトウクジラが生息しています。日本近海でも、小笠原諸島(東京都)や慶良間諸島(沖縄県)にて冬にザトウクジラを観察することができます。
北太平洋のザトウクジラは捕鯨の対象として乱獲された歴史があります。
1900-1976年頃までに、北太平洋では推定3万1785頭のザトウクジラが捕獲されました。
捕鯨が始まる以前のザトウクジラの頭数は約1万5000頭前後で安定していたという意見があり、また、漁獲統計データを解析した結果は、捕鯨終了時のザトウクジラの頭数は、北太平洋全体で約1000頭前後であると示唆しています。
しかし、捕鯨がはじまる以前のザトウクジラの推定頭数は科学者の間で合意の取れるエビデンスが十分に示されておらず、また、漁獲統計データには虚偽の申告(漁業者が実際に捕獲した頭数よりも、少ない値を報告する)が含まれている可能性が否定できません。
したがって、上記の推定頭数が本当に真のクジラの数を反映しているのかはわかりません。
今後、クジラを保全・管理について議論し、合意形成を得るためには、「クジラは何頭いるのか? クジラは増えているのか、それとも減っているのか?」という情報を、適切な科学的な方法を用いて、長期間にかけて収集し、その情報を評価する必要があります。
しかし、クジラの頭数を数えることは一筋縄ではいきません。クジラは私たちとは異なり、遠く離れた海で生活しているため、見つけるだけでも一苦労です。
加えて、ザトウクジラは、アメリカ、カナダ、ロシア、日本、東南アジアと広い範囲に生息しているため、これらの海域を全て調査することは、研究者の力だけではほとんど不可能といっても過言ではありません。
これらの理由から、研究者の力だけでクジラの頭数を調べることは、時間的にも、経済的にも現実的でありません。
現在、サザン・クロス大学(Southern Cross University)の博士学生であるテッド・チーズマン氏(Ted Cheeseman)は、30年以上にわたりツーリズム会社にて従事し,7大陸の全てを対象とした活動を通じて、人間活動が海に与える悪影響について問題意識を抱いていました。
そこで、2015年にチーズマン氏は勤めていた会社を離れ、2015年から北太平洋のクジラの頭数を数えるという壮大なプロジェクトを立ち上げました。
さて、チーズマン氏いったいどのようにしてクジラの頭数を数えたのでしょうか?その方法はいたってシンプルで、「研究者も市民も区別せず、みんなで協力してクジラに片っ端から名前をつけて個体を識別することで、クジラたちの戸籍簿を作る」というものです。
動物の研究者はたびたび、「動物が生活する中で自然につく傷」を利用して個体を見分け、頭数を数えます。この方法は動物を全く傷つけることなく調査研究をすることができるため、クジラを含めた多くの動物で好まれています。
一般で見比べたことのある人はいないでしょうが、クジラの尾びれはよく観察すると、形や模様が1頭1頭異なっていることがわかります。
そこで、研究者たちはクジラの尾びれを撮影し、「この写真と、この写真は同じ個体の尾びれだ!」と神経衰弱の様に写真を整理していくことで、それぞれの個体を見分けていき、覚えやすいニックネームを付けていきます。
そうして、名前を付けた個体の数を数えていくのです。
例えば、「Z」というニックネームの有名なザトウクジラがいますが、彼の尾びれの右側をみればニックネームの由来がすぐにわかるでしょう。
チーズマン氏はこの方法をワールドスケールに拡張しました。
彼は総勢75名の研究者、46の組織、4292人の有志のボランティアとプロジェクトを進めることで、北太平洋のほぼすべての海域から、長期にわたるデータを集めることができました。
なお、有志のボランティアからの情報提供はHappy whaleというHPを通じて行われました。HPをみてみると、写真提供数のトップ10が表示されるという、ボランティアのやる気を引き出す工夫がみてとれます。
また、チーズマン氏は、クジラの尾ビレを分類する作業にAIを導入しました。
世界中から提供された尾びれの写真をグループ分けしていく作業は、とても人の目だけでは追いつきません。しかし、AIに分類作業を手伝ってもらうことにより、世界中から提供される莫大なデータを解析することが可能になったのです。