平安時代の官僚であった小野篁(おののおたかむら)には、日中は朝廷で働く一方で、夜は地獄で閻魔に仕えたという伝説が残っている。亡き母に会いたい一心で伝説の井戸から冥土へ赴いた彼は、そこで餓鬼道に堕ちて苦しむ母の霊を発見した。母の霊を救おうと彼は閻魔大王に直談判をし、それをきっかけに彼は冥官となって閻魔に仕えるようになったのだという。その際、夜になると井戸から入って地獄に行き、朝になると井戸から出て戻っていったと言われている。
彼が地獄を行き来するために使用していた井戸は、「冥土通いの井戸」と「黄泉がえりの井戸」の2ヶ所があり、それぞれが地獄へ向かう井戸と戻る井戸とで区別されていた。
地獄へ行くための「冥土通いの井戸」は京都市東山区にある六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ) 内にある。鳥辺山の麓にあるこの寺の周辺は、平安時代に多くの庶民が遺体を野晒しにし遺体を鳥に食べて処理してもらうという鳥葬が行なわれていたことから、「鳥辺野」という地名になったと言われている。
寺のそばにある「六道の辻」(死の六道)は、この鳥辺野の入口にあたり、あの世とこの世の境界として考えられていた。人々は死後生前の行いによって六道のいずれかに転生すると信じられていたこ とから分岐点とされた場所となり、お盆に帰る精霊もここを通ると信じられていた。
そして、地獄から戻るための「黄泉がえりの井戸」であるが、ハッキリとした場所はわかっておらず、これまで最も有力とされていたのは、1880年に廃絶され、かつて京都市右京区にあったという福生寺(ふくしょうじ) の跡地に存在している井戸が「黄泉がえりの井戸」だと考えられていた。
六道珍皇寺の「死の六道」に対してこの寺跡付近は「生の六道」と呼ばれており、跡地には、生の六道延命地蔵石碑が建ち、祠の傍に井戸がひっそりと残っている。この井戸こそが「 黄泉がえりの井戸」であるとされていたものの、六道珍皇寺と違い説明や案内を記す看板などが存在しておらず、あくまで推測の域を出なかった。
もともと、「生の六道」 と呼ばれる井戸は1960年に7基発見されており、それぞれの井戸には小さな地蔵尊(石仏) が安置されていたという。福生寺に「黄泉がえりの井戸」があるとされるようになったのは、小野篁がある時、猛火で苦しむ亡者の身代わりとして自ら焼かれる地蔵を見つけ、 その地蔵の姿を彫った石仏を福生寺に安置したという伝承によるも のと考えられる。
ところが、 2011年になって六道珍皇寺の境内で井戸が発見されたという報 告がなされた。六道珍皇寺では、この井戸を「黄泉がえりの井戸」 と呼び、発見時は本物の「黄泉がえりの井戸」 が発見されたということで話題にもなった。現在は、六道珍皇寺の隣接地で発見された新しい井戸が「 黄泉がえりの井戸」として紹介されている。
【参考記事・文献】
六道の辻(生の六道延命地蔵)
六道珍皇寺 | 冥界への入口!冥土通い&黄泉がえりの井戸
六道珍皇寺と小野篁の不思議な伝説
福生寺(ふくしょうじ) 跡 「生の六道」 小野篁が閻摩庁から帰って来たという「黄泉がえりの井」 があった。
【文 ナオキ・コムロ】
文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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提供元・TOCANA
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