Xでは戦争の犠牲者やいじめ・性的暴行にあった人に対して、同情ではなく批判の言葉を浴びせる人を見かけることがあります。

もちろんこれはSNS上に限らず、加害者ではなく「被害者を責める」という人々は一定数存在しています。

しかしどうして一部の人々は、犯罪の加害者側ではなく被害者側を追い詰めるような発言をしてしまうのでしょうか。

ドイツのウルム大学(University of Ulm)に所属するクラウディア・サッセンラス氏らの研究チームは、こうした被害者の方を責める人々を分析し、これらの人々が性的嗜好とは関連しない日常的サディストの傾向を持っており、共感性に欠け、被害者情報を正しく認知できていない可能性を報告しました。

こうした人々は他人を虐げることに喜びを感じる傾向を持っており被害者と加害者の関係をきちんと記憶しておらず、それゆえ自分の欲に任せて「責め立てる対象」にしてしまっているという。

研究の詳細は、2024年付の学術誌『Journal of Personality and Social Psychology』に掲載されました。

被害者叩きの裏に潜む「公正世界仮説」と「日常的サディズム」

「何か悪いことをしたから、被害にあったのだ」という考えは、「被害者叩き」を生む
「何か悪いことをしたから、被害にあったのだ」という考えは、「被害者叩き」を生む / Credit:Canva

犯罪やいじめの被害者に対して、同情するどころか反対に避難する「被害者叩き」の背後には、「公正世界仮説」がいくらか関係していると考えられています。

これは、「良いことをした人には良い結果がもたらされ、悪いことをした人には悪い結果がもたらされる」という心理的バイアスのことです。

人々はこうした心理により、「被害にあったのは、その人にどこか悪いところがあったのだろう」と考えてしまうわけです。

しかし、この公正世界仮説だけが被害者叩きの要因ではありません。

サディズムの人も被害者を非難する傾向があります。

人をからかったりいじめたりすることが好きな「日常的サディズム」の人
人をからかったりいじめたりすることが好きな「日常的サディズム」の人 / Credit:Canva

サディズムというと、すぐ性的嗜好を思い浮かべる人が多いかもしれません。

しかしサディズムには、性的嗜好と関連した「性的サディズム」と、性的要素を含まない「非性的サディズム」に分かれます。

非性的サディズムの代表的なものには、「日常的サディズム(everyday sadism)」が挙げられます。

この日常的サディズムとは、他人をからかったり責めたりすることに喜びを感じる性格特性のことであり、「日常生活の中で広く見られる嗜虐性」とも言えます。

例えば、「人をからかって、その人が動揺するのを見るのは面白い」「人の喧嘩を見ると興奮する」「人を支配していることを自覚させるために、からかったことがある」などの項目に強く同意できる人は、日常的サディズムの傾向があります。

そのような人たちは、いじめや誹謗中傷、パワハラなどを行い、惨めな相手を見て喜びを感じてしまうといいます。

サッセンラス氏ら研究チームは、この日常的サディズムの人が、どのようなメカニズムで被害者を叩くようになるのか、いくつかのアンケートから分析することにしました。