類は類を呼ぶではないが、同じ家系、民族、出身国の人々が近くに集まり住むことで、コミュニティが生まれてくる。クルド系・コミュニティ、セルビア・コミュニティといったようにだ。また、棲み分け理論ではないが、天敵から可能なだけ離れて生きていくためには、それぞれが特定の地域に住む。人もある意味で他の動物とは大きな相違がないのかもしれない。自分と歴史、民族、宗教、慣習が違えば、それだけ警戒心が生まれてくる。
当方はウィーン16区に住んでいる。外国人が多く住むエリアとして知られている。深夜、煩い声も時には耳に入る。サッカー試合後の歓声、怒声は当たり前だ。いちいち怒ったり、喧嘩してもらちがあかない。
ウィーン市には世田谷公園に日本庭園がある。週末には多くの市民が訪ねてくる。公園が開園された直後だと思う。竹筒に水が流れてはじく音(鹿威し)、風鈴の音が煩いというウィーン市民の声もあった。風鈴が音を出さなければ風鈴ではないように、水が流れる竹の音がなければ、日本庭園の静けさは生まれてこない。時を経て、理解するようになれば日本人が好む風情は分かってくるだろう。
日本では長い間、同じ民族が住んできた。教育水準も高いうえ、農耕農民として共存していくことを学んできた。一方、戦い、勝つか負けるかの明暗がはっきりとしている狩猟の世界に生きてきた国民は、どうしても闘争心が強まる一方、共存、連帯という面ではまだ未発展だ。一神教を信じる民族と多神教の国民ではその精神生活は異なる。目の前に砂漠しか見えない国では、目はどうしても上に向かい神への信仰が生まれてくる。人間、社会、国の相違点を挙げればきりがない。その相違点を対立や紛争の原因とせず、相違点の背景や歴史を知って和合を見つけ出すこと、それが人間の知恵だろう。これまで見えなかった共通点が浮かび上がってくるかもしれない。
日本は不法移民・難民への監視、受け入れの取り締まりを強化しなければならない。ただ、外国人嫌悪・排斥になってはならない。異国に住めば、日本人も外国人なのだから。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年4月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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