「バカヤロウ」
私の心の中での叫びでもなければ、ビートたけしの決め台詞でもない。
85歳の大ベテラン政治家、二階俊博氏の次回選挙不出馬会見での一言である。
最初にこの報に接した時、率直に感じたのは、「よく、そんな発言ができるな」というものであった。これには二つの意味合いがあって、一つは文字通り、「呆れる」「悪い意味で信じられない」というネガティブな意味である。
絶大なる力を持つ政治家であったのに、最近は、巨額の裏金作りで世間から指弾され、自ら率いる派閥は解散となり、そして次期衆院選挙不出馬という立場に追い込まれるという「イライラの基盤」に加え、非常に腹の立つ言葉、即ち年齢のことを言われて思わず言ってしまったのかもしれないが、さすがに公の場での発言としての「バカヤロウ」は頂けない。
と同時に感じるのは、老練の大ベテラン政治家が、思わず感情に任せて、ということだけで会見の場で「バカヤロウ」という発言をするだろうか、ということである。もしかすると確信犯的に年齢のことは言うなと「バカヤロウ」という激しい言葉を使ったのかもしれない。これが二つ目の意味での「よく、そんな発言ができるな」である。
二階氏が政界を去り、遠くない将来、麻生氏なども引退となると、今後、なかなか「バカヤロウ」と公の場で言える政治家というのは出てこないものと思われる。世間が何と言おうと、あたかも国民一般の代表であるかのように振る舞うメディアの担当者がどう迫ってこようと「俺はこう思うんだよ、バカヤロウ」と啖呵を切れる個人というのは、意外に大事かもしれない、などと思ったりもする。
現代社会と「バカヤロウ」精神弱者のルサンチマンが世の中を覆う近代。本来は弱者であるのに、数の力によって大衆が強者に転化し、本来の強者が権力を失って権威を失墜させるとの近代民主主義の宿痾を明快な論理で白日の下にさらしたのがニーチェやオルテガであるが、現代の日本はまさにそういう社会に完全になってしまったようにも思える。