その森岡氏が連載のコラムで「完璧主義の罠」と題した指摘は非常に興味深いものがあります。「いったん完璧主義の罠にはまると、我々は自分の人生に対してどんどん残酷に振る舞うようになる」とし「自分が生まれてきたことそれ自体に対しては、その苦しみも欠陥も大きく包み込んで肯定していくような道筋を探っていける」と結んでいます。
言わんとしているのは完璧主義の社会現状に対して人間はそんなにうまくできているわけではない、よってそれを強いられることによる苦しみを感じるよりできないことを自身も社会も許容できるような時代になってほしい、と私は理解しました。哲学者なのでその文章には深みがあり、読み手が読解する必要があります。これが哲学の面白いところであります。
日本がアメリカがたどったような飛躍の道を今後、進むとしたら何があるのでしょうか?私はモノづくりではなく、ノーベル賞をたくさん頂いた基礎研究でもなく、日本的経営でもないと思うのです。日本人が誰もしもわかっている平等感の中の幸福ではないかと思うのです。アメリカは成功者の裏側に無数のオピオイドで苦しむ成功を夢見る人々がおり、その下には貧富の差の壁をよじ登れない人々が社会を支えます。一方、日本の学生の就職率は97%だし、失業率は2.6%と世界でも類を見ない実態なのにそれが当たり前で誰も何も言わないのです。
人間、誰にも同じだけのチャンスが与えられる社会は世界にはあまりない、これを平等感の中の幸福と私は言いたいのです。なぜ、日本ができてほかの国ではできないのか、それは人々の欲望や我儘が感情の制御を超えてしまうからでしょう。日本は社会システムの中で弱者救済が着実に進化しています。森岡先生が指摘するように完璧な人間が完璧を目指すのではなく、人間それぞれが持つ能力をしっかり発揮し、補完の関係を社会の中に築いたという意味で私は日本は世界に類を見ない体系を作り上げたと自負しています。
そう、日経平均が34年ぶりに過去最高を更新したけれど我々が「そうだったのだ!」と気づけば日本の更なる飛躍は保証されたようなものであります。日本人が皆で育みたいものです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年4月8日の記事より転載させていただきました。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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