2018年、オークションサイト「Alexander Histrical Auctions」にてヒトラーととある少女が仲良く映っている写真がオークションにかけられ、日本円にしておよそ130万円で落札された。ヒトラーと共にその写真に写っているのは、ローザ・ベルニーヌ・ニナウという名の少女であった。

 ヒトラーは、宣伝のために子供と写真を撮ることが多かったと言われているが、このローザとは特に何度も撮影をしており、「総統の子供」とまで呼ばれ、5年ものあいだ17回も文通をするほどの仲であったという。競売にかけられた写真は、ヒトラー専属の写真家ハインリヒ・ホフマンが撮影したものであり、彼女とその母親を別荘に招き入れた際に撮影し、ヒトラーが手渡したものだ。写真には、「親愛なるローザへ」というサインが書き込まれている。彼がローザへ写真をプレゼントしたのは、ローザと自分の誕生日が同じであることを知ったからだそうだ。

 しかし、このローザという少女は、実は母親がユダヤ人であったことがまもなく判明している。ナチスは、ユダヤ人の迫害を政策に掲げていたことで知られているが、ヒトラーはローザがユダヤ系であったという事実を知った上でも彼女との交流を続けており、実際に会う機会も多かったという。ローザがヒトラーの靴下を編んであげたこともあったそうだ。

 だが、そうした友情ともとれる二人の関係は突然に終わりを迎えた。1938年、ナチス高官でありヒトラーの個人秘書でもあったマルティン・ボルマンが、ローザの家族に対して「これ以上の連絡は取らないように」と告げ、以後ヒトラーとローザは会うことも文通をすることも絶たれてしまったのだ。この命令は、ローザがユダヤ人であるということを良く思わなかったボルマンの独断によって行なわれたようであり、これを知ったヒトラーはひどく悲しみ、「私のあらゆる楽しみを台無しにした」という愚痴を残している。

 一説には、当時ドイツではユダヤ人であることを隠して生活していた人々も多く、ヒトラーはローザがユダヤ人であることに気付かずに交友を続けていたが、秘書がそれに気づいたことで断ち切られたとも言われている。いずれにせよ、ヒトラーがローザと非常に親しい関係を築いていたこと、そして彼女との連絡を断ち切られたことに悲嘆したことは事実であるようだ。その後、ローザは、ヒトラーと初めて出会った時から10年後の1949年10月5日にポリオによって17歳で死去した。

 写真を撮影したホフマンは、のちに回顧録の中で「ヒトラーの恋人」とキャプションを付けて二人の別の写真を掲載した。そして、「少女に会えるのをヒトラーは楽しみにしていた」「お節介な誰かが、少女が純粋なアーリア人の血統ではないと発見したため終わってしまった」と記しているという。

 ヒトラーには、ユダヤ人と仲が良かったのではないかという話がいくつも存在する。ヒトラーの最初の私用運転手であったエミルという人物は、ユダヤ系ドイツ人であったが、兄ともどもナチスに入党していた。ヒトラーの側近であったヒムラーは彼を追放しようとするが、個人的にも繋がりのあったヒトラーは兄弟ともに追放しないようにとヒムラーへ手紙を書いたという。また、ヒトラー家のファミリードクターを務めたエドゥアルドは、ユダヤ系のオーストリア人であったが、元主治医ということでヒトラーに助けられ、ゲシュタポの保護下に置かれて安全に暮らしていたという。

 こうしたことから、ヒトラーはユダヤ人を憎んでいたのではなく、プロパガンダのためにユダヤ人を標的にしていただけだったのではないかとも言われているが、今となっては不明である。もし、ヒトラーとローザの交友が続いていたのであれば、その後の歴史も変わっていたのだろうか。

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文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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提供元・TOCANA

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