1947年5月12日発刊の「LIFE」誌に、1枚の衝撃的な写真が掲載された。「史上最も美しい飛び降り自殺死体」と呼ばれるその写真は、米ニューヨーク州マンハッタンで簿記係として働いていた女性、エブリン・マクヘイル(当時23)の遺体を写したものだった。
同年5月1日午前10時30分前、エブリンはエンパイア・ステート・ビルの86階展望台(高さ320メートル)の切符を購入した。その10分後、交差点で交通整理をしていた巡査のジョン・モリッシーが、ビルの上から白いスカーフが舞い落ちてくることに気づいた。そして次の瞬間、激しい衝撃音を聞いた。
エブリンは展望台から身を投げ、駐車中だった国連のキャデラックリムジンに激突したのだ。通りを歩いていた写真学校の学生、ロバート・C・ワイルズは衝撃音を聞き、現場に駆けつけると、エブリンの遺体を写真に収めた。死後4分後に撮影されたというエブリンの遺体には目立った外傷がなく、まるで眠っているような姿だった。リムジンのガラスが粉砕されて散らばっているが、大きく歪んだ金属板はまるでエブリンを包み込むシーツに見える。報道によると、遺体は液状化していたため、移動させようとしたらバラバラに崩れてしまったという。
写真が有名になった一方、エブリンの自殺については情報が少ない。彼女はカリフォルニア州の都市バークレーで1923年9月20日、7人兄弟の6番目として生まれた。幼少期に母親がうつ病にかかって家事を放棄し、両親は離婚。エブリンは金融検査官の父に他の兄弟と一緒に引き取られた。高校卒業後はミズーリ州の都市セントルイスで陸軍婦人部隊員に所属し、後に兄や義理の妹と一緒にマンハッタンへと移り住み、簿記係として生計を立て始めた。そして、ペンシルベニア州出身の大学生、バリー・ローズと交際して婚約した。
しかし、エブリンの人生には常に暗い影が付きまとっていた。エブリンは母親のうつ病を受け継いでいたのだ。1946年の夏、エブリンはバリーの弟の結婚式で花嫁介添人を務めた。式の後、エブリンは「もう二度とこんなの見たくない」と取り乱し、自分のドレスを引きちぎったという。バリーは後に「彼女は僕の妻になる資格がないと不安を感じてしまい、思い悩んでしまったのでしょう。僕はそれは馬鹿げた考えだと彼女を説得しました」と語っている。
翌年4月30日、エブリンは思い立ったようにバリーに「お別れのキス」をすると列車に飛び乗り、エンパイア・ステート・ビルにやって来て、86階展望台から飛び降りた。展望台の手すりにはコートが畳んで掛けられており、化粧品箱と黒い手帳も残されていた。手帳には次のように書かれていた。
「家族にも家族以外の人にも、自分のあらゆる部分を見られたくありません。私の死体を火葬にして破壊してもらえませんか? (これを読んでいる)あなたと私の家族にお願いがあります。私の葬式も、形見を取っておくこともしないでください。婚約者は、6月に結婚しようと言ってくれました。でも、私は誰かの良い妻になれないと思っています。彼は私がいないほうがずっと幸せです。父が言うには、私は母の気質をあまりに多く受け継いでいます」
エブリンの遺体を映した写真は、ポップアートの旗手であるアンディ・ウォーホルやミュージシャンのデヴィッド・ボウイの作品にも引用され、さらに有名になった。遺書まで残して自らの消滅を願ったエブリンは、逆に人々の記憶にいつまでも残り続けることとなったのだ。なんとも皮肉な結末である。