平賀源内は、江戸時代中頃に活躍していた人物である。オランダから渡ってきたエレキテル(静電気発生機)を修復・復元したことが特に知られているが、実際に着手した事柄は非常に多く、本草学者、地質学者、蘭学者、漢学者、殖産事業家、鉱山技師、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、発明家、博物学者、発明家などがあげられる。そのマルチな活動から「東洋のダ・ヴィンチ」などと称されることもある。
幼い頃から頭がきれる子供で、12歳の時に掛け軸の天神様にお神酒を供えると顔が赤くなる「おみき天神」というカラクリを発明し『天狗小僧』と呼ばれた逸話などが残っている。その一方で、『放屁論』という戯作も発表し、屁についての論説を展開するという風変わりなことも多数行なっている。
手広く様々なことに携わっていた源内であるが、「では結局のところ何をなし得た人物なのか」については源内を研究する人々にとってもなかなか掴みどころがないものであると言われている。ただ、最新の文化などに対する強い好奇心を持っていたことは確かだろう。それは彼の一応の本職である博物学の研究に現れており、それまで医学を主軸においた本草学から現代科学へ通じる博物学へと発展させたことは彼の一つの功績であるとも言われる。
ただ、深く追究するという姿勢があったかについては疑わしい部分もある。例えば、蘭学を学ぶためにはオランダ語を学ばなければならないことは当然であるが、彼が熱心にオランダ語を学んだという様子はなく結局は投げ出してしまった。この点、手探りで解読し『解体新書』を翻訳した杉田玄白とは雲泥の差があると言えるだろう。
また、彼の話題で最も取り上げられ、”源内が発明した”と勘違いされることの多いエレキテルについても、彼自身その仕組みについては結局理解してはおらず、知人の助言などを借りながらやっていったら”なんとなく”出来上がったという具合であった。また、石綿を原料にして作られた燃えない布「火浣布」についても、古代の中国・日本の古書や記録から再現をして製作されたものであり、厳密には彼の発明であるとは言えない。
さて、先に彼が分野をまたいで活動していたことについては、強い好奇心の表れではないかと触れたが、それと同時に「日々の生活費を稼ぐため」という現実的かつ切実な事情もあったことは間違いない。しかしながら、彼は自身の発見や製作についてそれらを広めたり産業へを発展させたりするノウハウが無く、そのことが貧困から脱することができない最大の弱点となってしまっていた。
その活動ぶりから幾度となくトラブルも引き起こしている彼であるが、最大のトラブルとなる事件を晩年に起こしている。記録によると、ある大名が別荘の修理を町人に依頼したが、源内にも見積もりをさせたところ彼は「費用を大幅に削減できる」と豪語した。源内に仕事が移ってしまう事を危惧した町人との間で争いになったが、最後には和解し共同で請け負うということとなり、和解の印として源内宅で役人も交え宴会が行なわれた。
しかし、翌朝に源内が目を覚ますと請け負った書類がどこにも見当たらず、これを町人が盗んだと考えた彼は激高し、なんと共に夜を明かした町人を刀で斬りかかり殺害してしまったのである。話によれば、流石にまずいと思い立った彼がいっそ自害しようと部屋を整理していると、あっさり書類が見つかってしまったそうだ。結果として彼は、これにより投獄されそのわずか1ヶ月後に破傷風で獄中死するという悲惨な結末を迎えてしまった。
一説には、彼が殺人を犯した当時の自宅は、住んでいた浪人が切腹し、その後に入居した人物が悪事によって死罪になるなど曰く付きの物件であったと言われており、そのことが彼の最期に影響を与えたのではないかという都市伝説めいた逸話もあるようだ。
彼の人間としての評価は、受け取る部分によるところが非常に大きく、実際真っ二つに分かれているというのが現状である。
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文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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提供元・TOCANA
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