「千葉笑い」は、大晦日に千葉市の千葉寺境内で行なわれる行事・風習の一つである。
「声の目安箱」と称され、お面や頬被りをして時の権力者などへの不満や愚痴を大声で言い放ち笑うという、悪態祭の一種と考えられている。江戸時代にはじまり明治で一度途絶えたが、2010年に地域文化の継承を掲げた復興会など有志の尽力によって復活した奇習として知られている。一時コロナ禍によって3年休止となるが2023年に再開されている。
千葉笑いについては、資料が乏しいために詳しいことはハッキリとしていない。だが、俳句や川柳といった古句の中に千葉笑いを詠んだものがいくつも確認でき、下総に何度も足を運んだとされる小林一茶の句の中にも「千葉寺や隅に子どももむり笑ひ」といったものが存在する。
平凡社の『俳句歳時記』の中では、「人々が顔をかくして集まり、奉公・頭人、庄屋などの善悪不正を大きに笑って褒貶した」「個人の行状についても数え上げて笑い合ったので、この笑いに逢うまいと、常に謹むので、悪事が後を絶ったと言う」と説明されている。要するに、悪口を言われ笑われないように自身の言動を慎しむための風習であったということだ。
戯作者岡本綺堂による戯曲『千葉笑い』は、文字通りこの風習をもとにして創られたものとなっている。大晦日の夜、千葉城主の千葉之介が「千葉笑い」を見ようと仮面をつけて千葉寺を訪れると、自分の悪口を言い放つ仮面の男女がいた。腹を立てた千葉之介が彼らを捕らえようとし、男女がいざ逃げようとした途端に彼らの仮面が外れ、なんと正体が千葉之介の妻や娘そして家臣だったことが判明した。呆れた千葉之介は「仮面でもかぶっておけ」と言って城へ帰っていった。
演芸評論家小島貞二によれば、千葉笑いは平安末期から鎌倉前期にかけて活躍した武将であり千葉氏中興の祖と呼ばれた千葉常胤によって生み出されたものであるとの推測をしている。
伝えによると、常胤は目立ちたがらない正確ではあったものの地道に成果を積む人物であり、また頭の回転も良く決断にも迷いを見せなかったという。下剋上が社会的な風潮と化したこの時代、その世相を先取りし「悪態祭」という形にかこつけて大目に見てもらおうというアイデアを実現させたのが千葉笑いのルーツとなり、風習として定着したのが江戸時代になってからではないかということだ。
千葉笑いは時代を経てそのスタイルも変容していき、初期には仮面をつけて声色を変えて訴えるというものから、徐々に年に一度の憂さ晴らしという色合いを強めていったのではないかと推測される。その千葉笑いの風習は、1852年の千葉寺の火事によって一度完全に消滅し、その後130余年もの間眠り続けることとなった。
現在の千葉笑いは、仮面をかぶり声まで変えて悪態をつくという面よりも、「笑い」を重視するスタイルで現代的に変化をさせている。朝日新聞千葉版では、1985年から「千葉笑い」と題して都都逸・なぞかけ・回文などの文芸的な作品の応募という形で復興のきっかけを築きあげていた。一度消滅をするも、現代に見合う形で転生を遂げた奇習であるが、喜ばれ愛される催しとして末永く続けられて欲しいものである。
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文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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提供元・TOCANA
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