山高帽にちょび髭、ピッチリ上着にだぶだぶズボン、竹のステッキにぶかぶかの靴という恰好のキャラクターで知られ、コメディアンとして揺るぎない地位を確立したチャーリー・チャップリンは、日本との関りも非常に強く、彼の人生は日本無しでは語れないとも言われている。

 彼の秘書が日本人であったことは非常に有名だ。高野虎市(こうのとらいち)というその人物は、裕福な家庭に育つも親が決めた結婚を嫌い自由を求めて渡米した経歴を持つ。そのころ、デビュー3年目で億万長者となったチャップリンが自動車を買ったことで運転集を募集していることを知り、1916年晴れて高野は運転手として採用となった。ホテルの一室で行なわれたその面接は、「運転できるの?」というチャップリンの問いに高野が「はい」と答え、それにチャップリンが「僕はできないよ、かっこいいなあ」と反応するというわずか三言だけで終わったという。

 運転手のみならず、経理、秘書、護衛など身の回りの業務を様々任せられていた高野であるが、その仕事ぶりからチャップリンの遺産相続人の一人に選ばれるなど絶大なる信頼を得ており、チャップリンの映画に脇役で出演をしたこともあった。結果として、チャップリンは、その誠実さや勤勉ぶりに感心し、1926年には使用人の全てが日本人であったと言われている。

 1932年5月に初めて来日して以降、生涯で4度の来日を果たしたチャップリンは、歌舞伎や相撲を非常に気に入り、西陣織の羽織をガウンとして愛用していた。チャップリンが映画の中でも愛用する竹のステッキも、日本の滋賀県で作られた竹根鞭(たけねむち)細工と呼ばれる特産品であった。

日本で暗殺の標的にされた喜劇王「チャップリン」日本との深い関係とは
(画像=Created with DALL·E,『TOCANA』より 引用)

 そんなチャップリンが、なんと日本にて暗殺の標的にされたことがあった。1932年5月15日、帝国海軍の急進派であった青年将校たちが首相官邸に乱入し、犬養毅首相を暗殺するという「五・一五事件」が発生した。なんと、その時来日していたチャップリンも暗殺の標的になっていたというのだ。当時、映画は退廃的な文化として青年将校から毛嫌いされ、その旗手となっていたチャップリンはまさに憎悪の対象であった。

 事件当日、チャップリンと犬養首相との会談・パーティが行なわれる予定であり、そこで双方を襲撃するという計画がなされたのだが、当日になってチャップリンから急遽キャンセルが申し出され、結果的に彼は暗殺から逃れられた。

 キャンセルをした理由には諸説あるが、その中に「急に天ぷらが食べたいと言い出したため」というものがある。チャップリンは天ぷらが大好物であり、天ぷらの名店であった東京の「花長」にて、30匹も食べたと言われている。果ては、麺つゆを自作したこともあったほどであったそうだ。それほどの彼の天ぷら愛が、命を救ったと言えるのかもしれない。

【本記事は「ミステリーニュースステーション・ATLAS(アトラス)」からの提供です】

文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集 部)

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提供元・TOCANA

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