ワクチンも中和抗体も効きませんでした。
オランダのアムステルダム大学(UvA)で行われた研究により、613日間にわたり新型コロナウイルス感染症に感染し続けた72歳の免疫不全男性体内で、高度に変異した新規変異体が出現したことが報告されました。
613日も感染したまま治らなかったというのは、これまで知られている中で最も長期にわたる新型コロナウイルスの症例です。
研究ではこの患者のウイルスのDNA配列が継続的に調査されており、感染後に50カ所以上の変異が起き、免疫回避性ウイルスに進化していることが示されています。
男性には複数回のワクチン接種や抗体治療も行われていましたが、予防することも治療することも叶わず、リンパ腫の悪化によって死亡してしまいました。
研究者たちは、感染期間が非常に長い免疫不全患者において、新型コロナウイルスの危険な変異株が発生する可能性が浮き彫りにされたと述べています。
研究内容の詳細は2024年4月27日から30日にかけてスペインで開催されるたESCMID世界会議(旧ECCMID)にて発表されました。
新型コロナウイルスが免疫回避性ウイルスに進化した経緯
健康な人の場合、新型コロナウイルス感染症は通常、数日から数週間で治癒します。
しかし、免疫力が低下している人々の中には、ウイルスが体内に長期間留まって複製を続け、症状が慢性化するケースがあります。
このような長引く持続感染は、ウイルスが進化し続けることで、治療がさらに複雑になる可能性があるため、大きな懸念材料となっています。
新たな報告書では、2022年2月に新型コロナウイルス感染症で入院した72歳の男性患者についてのものでした。
彼が感染したのは、日本で確認されたオミクロン変異株BA.1.17です。
この男性は、過去に複数回の新型コロナウイルスのワクチン接種を受けていたにも関わらず、新型コロナウイルスに対して十分な抗体を生成することができませんでした。
その結果、彼は613日という驚異的な長期にわたる感染を経験することになりました。
新型コロナウイルスに感染した人ならば、あの症状が緩和されず2年近く続く恐ろしさがわかるでしょう。
原因の1つは、男性が以前に受けていた治療にありました。
彼は以前、骨髄の問題を解決するために幹細胞移植を受けており、その結果、彼の免疫システムは大きく弱まっていました。
免疫能力が低下している人は、たとえ3回ワクチン接種を受けていたとしても、新型コロナウイルスで重症化するリスクが高く、入院する可能性も最大で13倍高くなっています。
そこで医師たちは男性に対して中和抗体であるソトロビマブを投与しました。
この抗体は、ウイルスのスパイクタンパク質に特異的に結合し、ウイルスがヒトの細胞に入るのを阻止することができます。
ウイルスが細胞内に入れなくできれば、やがてウイルスは死滅し治療できるはずです。
しかし中和抗体のソトロビマブ点滴を受けてから早くも21日後に、男性体内で耐性変異が出現してしまいました。
研究では継続的なウイルス遺伝子調査も行われており、男性の体内では当時流行していたオミクロンBA.1株と比較して、追加で50個もの変異が蓄積していたことが示されました。
さらにこの変異の中にはスパイクタンパク質というウイルスが細胞に取り付く部分の変異(欠失)が含まれており、ウイルスが免疫回避性に進化している可能性が示されました。
新型コロナウイルスのようなRNAウイルスは遺伝子の変異が起きやすいことは知られています。
ですが、たった1人の男性の体内で免疫回避性ウイルスが出現したという結果は重要です。
また中和抗体を使い始めてから、適応変異体が現れる速度も21日と極めて短期間であったことも憂慮すべき結果です。
(※インフルエンザウイルスは新型コロナウイルスよりもさらに速く進化することが可能です)
このような現象は他の研究でも報告されています。
例えば、病院で治療を受けている免疫抑制患者から採取されたサンプルを分析した研究では、類似の迅速なウイルス進化が確認されており、これらの患者が特に変異ウイルスの発生源となり得ることが示唆されています。
研究者たちも「免疫不全患者の体内でのウイルスの急速な進化は、人々が思っているよりも遥かに一般的に起こる現象である」と述べています。
さらに男性にとって不幸だったのは、新型コロナウイルス感染が収まらぬうちに、リンパ腫を発症してしまったことにありました。
そのため医師たちは、ただでさえ免疫力が枯渇している男性に対して、リンパ腫治療のため白血球を破壊する治療が必要になりました。
最終的に男性は合計613日間SARS-CoV-2陽性で高ウイルス量を維持した後、リンパ腫の悪化により死亡してしまいました。
不幸中の幸いとして、男性の隔離とウイルスの物理的な封じ込めは成功しており、高度に変異した変異株の他者への感染は記録されていません。
もし男性の体内で進化した免疫回避性のウイルスがパンデミックを起こした場合、人類にとって重大な危機になっていたでしょう。
(※過去に行われた免疫不全患者を対象にした研究では、患者体内で変異を起こしたウイルスが他人に感染する事例も報告されています。)
今回の報告は、免疫不全の人々の体内はウイルス進化における「ホットスポット」となる可能性があり、パンデミック対策としてこれらの患者を特に注意深く監視する必要があることを示唆しています。
研究者たちも「免疫不全患者などでの長期感染がウイルスの進化を促し、予防も治療も困難な危険な変異株を出現させる可能性がある」と述べています。
実際、免疫をすり抜けて感染すると言われているオミクロン株の出現は、免疫不全患者に由来すると考えられています。
オミクロン株は、非常に多くの突然変異を持つことで知られており、このようなパターンの変異は1人の人間の体内で長期に渡り、繰り返し何度も複製することで起こるからです。
報告では最後に、免疫が弱っている人では新型コロナウイルス感染症のリスクが長期かつ広範に及ぶことがあるため、最善の治療方法を開発する必要があると述べています。
これにより、新しい変異株の出現を防ぎ、パンデミックをより効果的に管理することができるでしょう。
参考文献
This poor soul had COVID-19 for almost 2 years, so long it mutated into a new variant
Following longest known chronic SARS-CoV-2 infection of 613 days, experts highlight the risk of development of novel potentially immune-evasive SARS-CoV-2 variants due to persistent infections in immunocompromised patients
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。