古代ギリシアの哲学者、プラトン(紀元前427〜BC347年)。
ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師にあたる彼は歴史上、最も有名にして偉大な哲学者の一人です。
おそらく哲学に触れたことがなくても、プラトンの名前はほとんどの人が知っているでしょう。
そして最近、イタリア国立研究評議会(CNR)とピサ大学(University of Pisa)により、プラトンに関する驚くべき研究報告がなされました。
研究チームが18世紀に見つかった古文書を解読した結果、なんとプラトンが埋葬された正確な場所が明らかになったのです。
さらに古文書にはプラトンが病に倒れる前の最後の夜についても詳細に書かれていたという。
偉大な哲学者が眠りについた場所はどこだったのでしょうか?
プラトンはどこに埋葬されたのか?
プラトンは紀元前427年に、古代ギリシアの都市国家・アテナイ(現在のアテネ)で誕生しました。
ちなみに「プラトン」という名前は彼の本名ではなく、レスリングの先生につけられたあだ名だったという説があります。
というのも、彼は体格が立派で肩幅ががっしりと広かったことから、レスリングの先生が「広い」を意味する「プラトン」と呼び始めたのです。
結局はこの名前が定着し、後世の史料にも「プラトン」の表記のみが残されています。
本名の方は不明ですが、一説では祖父の名前にちなんで「アリストクレス」と命名されたのではないかと推測されています。
弟子のアリストテレスとごっちゃになるので、プラトンで良かったかもしれませんね。
そしてプラトンは若い頃、ソクラテスに師事し、彼のもとで哲学や対話術を学びました。
その後、プラトンは師匠のソクラテスを中心に据えた対話篇(『ソクラテスの弁明』や『饗宴』など多数)を執筆し、さらに紀元前387年頃、アテナイの郊外にあった「アカデメイア」に学園を開設。
学頭として、生徒たちに幾何学や天文学、哲学を教えました。
また彼が60歳になる頃、当時17歳だったアリストテレスがアカデメイアに入門し、プラトンが亡くなるまでの20年間を弟子として過ごしています。
そしてプラトンは晩年を著述とアカデメイアでの教育に従事し、紀元前347年頃、80歳でこの世を去りました。
しかしこれほど偉大な人物でも、彼がどこに埋葬されたのかは正確にわかっていないのです。
これまでの研究で、専門家たちは「アカデメイアの敷地のどこかだろう」と考えていますが、証拠はありませんでした。
ところが、ある古文書の中にプラトンの埋葬場所が記されていたのです。