人類は長い歴史の中で核戦争により何度か滅び、そして復興を繰り返しているという説が存在している。世界各地には、古代核戦争の痕跡と考えられている遺跡やオーパーツがいくつも発見されているが、その中でも代表的なのがインダス文明の都市遺跡「モヘンジョダロ」である。
1922年に発見されたモヘンジョダロは、現在でも通用するほどの排水・下水システムを備えており、高度に発達した都市であると考えられている。しかし、その繁栄は極めて短期間であったとされ、さらにその滅亡の理由についても詳しくは判っていない。その一説として唱えられているのがいわゆる「古代核戦争」説であるのだが、その証拠としてあげられているのが「ガラス化した石」として「ガラスの町」と呼ばれる遺跡である。
1978年、古代史研究家D・ダヴェンポートとE・ヴィンセンティの両人が、現地で調査を行なったところガラス化した石が散乱している区域、通称「ガラスの町」を発見したというのである。そこは、現地の人々も恐れて近付くことが無かったという場所であり、半径400メートルほどに渡って黒いガラス質の地面に覆われていたという。
分析によると、こうしたガラス化した石はきわめて短時間のうちに1000度以上もの高熱で溶かされ、その後急激に冷却した場合に起こり得るとのこと。当初は、隕石の落下によってもたらされたものではないかとの説も浮上したが、遺跡周辺からはそれらしいクレーターが見当たらなかった。
そこで注目されたのが、砂漠の核実験場において同様のガラス化が見られるという指摘である。1945年にアメリカで行なわれた人類初の核実験と言われる「トリニティ実験」において、高温にさらされたためにガラス化した鉱物が生成され「トリニタイト」と名付けられた。今でもトリニタイトは実験場から採取することは可能とのことだが、現在では持ち出しが違法となっている。
一説では、モヘンジョダロのガラス化した石とこのトリニタイトが似ているという意見もあるという。この他、モヘンジョダロから発見された人骨から大量の放射線量が検出されたという報告も相まって、モヘンジョダロは核戦争によって滅んだという説が大いに唱えられるようになっていった。
しかし、このガラスの町やガラス化した遺物については強く疑問視されていることも事実である。第一に、先のガラスの町の発見者であるD・ダヴェンポートとE・ヴィンセンティであるが、彼らの行方については現在わかっておらず、それどころか彼ら以外にガラス化した石や町を確認したことのある者がいないというのだ。なにより、半径400メートルもの規模でありながらGoogle Earthなどですら、現在もその場所が特定されていない。
なお、人骨に残っていたという大量の放射線量については、イギリスの作家アレクサンダー・ゴルボフスキーが自著で発表したものであると言われているが、それについても真偽不明となっているのが現状である。
もともと、モヘンジョダロは現地の言葉で「死の丘」を意味し、現地民に古くから気味悪がられていた場所であったと言われている。そうしたいわば”禁足地”的な地域に対して尾鰭がつき、ガラス化というデマが広まっていったのではないかとも考えられる。
これらからすれば、ガラス化した石や遺物の報告はモヘンジョダロにおける古代核戦争の根拠とすることはできないと言わざるを得ないだろう。だが、モヘンジョダロは何層もの地下が重なって形成されている遺跡であり、一定の深部からは侵食などのため発掘が困難となっている。この地下の奥底に、何らかの痕跡が存在していると考える意見も当然ながら絶えることはない。
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文=黒蠍けいすけ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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提供元・TOCANA
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