■プレインフィールドの屠殺人

 1947~52年までの間に、ゲインは真夜中に地元の墓地を40回ほど荒らした。彼は母親に似た中年女性の葬儀をチェックし、埋葬された直後に掘り返していたのである。後の取り調べで、彼は9つの墓から遺体を持ち帰ったことを認めている。また、1954年12月8日には地元でバーを経営していたマリー・ホーガン(当時54)を射殺して、遺体を家に持ち帰った。公式にはこの事件がゲインの一件目の殺人とされている。

 エド・ゲインが今なお語り継がれているのは殺人鬼だからではない。彼は(公式には)二人しか殺しておらず、シリアルキラーではない。彼がアメリカの伝説となったのは、死体の扱いがあまりにも常軌を逸していたからだ。

 ゲインは持ち帰った遺体を解剖し、解体し、食べた。彼は遺体を加工し、頭蓋骨の食器や人皮を張った椅子などを作った。女性への変身願望を抱いていたゲインは、人面マスクや乳房のついたボディスーツを作って身にまとい、真夜中の農場内を歩き回ることもあった。また、切り取った女性器で自分の男性器を包むこともあったという。なお、彼は死体との性交だけは一切否定している。

 住民はゲインの凶行に一切気づかず、相変わらず変わり者の隣人程度にしか思っておらず、引き続き子守も頼んでいた。預かった子供たちとの関係は良好で、ゲインはしばしば人皮のマスクや頭蓋骨を見せびらかしていたというが、第二次世界大戦に出征した親戚の戦地からのお土産というウソを皆が信じていた。

 1957年11月16日、ゲインは再び殺人事件を起こす。被害者は地元で雑貨屋を営んでいたバーニス・ウォーデン(当時57)。ゲインは22口径のロングライフルで彼女を射殺した後、遺体をソリで引いて自宅へと持ち帰った。

 警察はウォーデンが行方不明になる直前、雑貨屋でゲインと一緒にいたこと、また現場に彼宛ての領収書があったことなどからゲインを武装強盗の容疑で逮捕した。そして、ゲインの犯行は白日の下に晒されることとなる。

 ゲインの自宅を訪れた警察は、まずウォーデンの遺体を発見した。彼女の首はなく、胴体は切り開かれて内臓を取り除かれ、逆さまに吊るされていた。まるで殺したての鹿のようだったという。部屋をさらに捜索すれば、コンロの上には心臓の入った鍋があり、冷蔵庫には人間の腸が入っていた。壁には人の顔を剥いだマスクが飾られ、9つの女性器と4つの鼻が収められた靴箱に、しなびた10個の頭部など、家の中からは次々と尋常でない品々が見つかった。

 また、遺体の数自体は15人分にのぼり。また、行方不明扱いされていたマリー・ホーガンの遺体の一部も発見された。なお、台所や多くの部屋は荒れて足の踏み場もない有様だったが、母親の部屋だけはきれいなままだったという。