ジーコ氏 写真:Getty Images

 日本代表元監督のジーコ氏は、今もなおクラブアドバイザーとして鹿島アントラーズを支えている。そんなジーコ氏が監督業の辛さ、鹿島と生涯契約を結んでいる意味の大きさを語っている。

 Jリーグ創設期の1990年代に鹿島(旧住友金属)で活躍したジーコ氏は、日韓W杯後にフィリップ・トルシエの後任として日本代表の監督に就任。中田英寿氏や福西崇史氏ら、タレントを多く擁する中でドイツW杯に参戦も、グループリーグ敗退という結果に。日本代表監督退任後は、トルコ1部フェネルバフチェ、ロシア1部CSKAモスクワなど複数クラブを率いていたが、2018年7月にテクニカルディレクターとして鹿島へ復帰。健康面の問題もあり、2022シーズン以降はクラブアドバイザーとして母国ブラジルから古巣を支援。複数回にわたり来日している。

 同氏の去就を巡っては、昨年12月にブラジル代表の監督候補に浮上。しかし現地メディアが「彼は監督就任の意向はない」と伝えると、ブラジルサッカー連盟は今年1月にドリバウ・ジュニオール氏の招へいを公式発表していた。

 そんなジーコ氏は今月、ブラジルメディア『Coluna do Fla』のインタビューで対応。自身の今後について訊かれると、「監督に戻るつもりはないね」とキッパリ。「ブラジル国外でしか仕事しないと決めたんだ。監督だと、ある程度時間を与えられた中で素晴らしい仕事をしようと思っても、それができない。結果に左右されるから、そういうことが許されないんだ」と、監督業の厳しさを語る。

 その上で「鹿島から生涯契約のオファーがあったから、結果を気にすることなく鹿島に残ることが選んだ。ブラジルではテレビの仕事もあるし、自分のチャンネルも持っている。これ以上、監督の仕事を引き受けることはできないね」とコメント。鹿島の特別待遇が、自身のキャリアに与えた影響の大きさを強調している。

 2016年に日本サッカー殿堂入りを果たすなど、日本サッカーの発展に尽力してきたジーコ氏。今もなお鹿島で絶対的な存在であるだけに、同氏の将来は安泰だ。