浦和レッズOBでFC岐阜クラブアンバサダーの柏木陽介氏が、日本代表OBの内田篤人氏と対談。槙野智章氏らとともに過ごしたサンフレッチェ広島の下部組織時代を振り返るとともに、ヴィッセル神戸の下部組織に入団しなかった理由を明かしている。
兵庫県たつの市の御津中学校出身である柏木氏は、神戸の下部組織入りという選択肢もある中、広島行きを選択。高円宮杯全日本ユース選手権大会で優勝するなど、中心選手として活躍したほか、年代別の日本代表にも選出。2006年に槙野氏らとともにトップチーム入りを果たしていた。
広島、浦和、岐阜とJリーグ3クラブでプレーした柏木氏は、インターネット動画配信サービス『DAZN』で今月7日配信開始の『内田篤人のフットボール・タイム』第173回にゲスト出演。内田氏から広島下部組織入団の経緯を訊かれると、「中学3年生の頃に、U17関西トレセンのメンバーに入って。その関西トレセンの試合で、サンフレッチェのスカウトの方から『最終選考を受けてみないか』と言われて。(最終選考を)受けたら、合格した。ヴィッセルはユース入りが決まっていた。夏休みの間もずっと練習に行っていた。それを断って、サンフレッチェに行った」と、中学時代を回顧。
内田氏が神戸下部組織の練習参加というエピソードに驚くと、「(広島の下部組織の拠点である安芸高田市)すごい田舎で、まわりに何もなかった。それに人工芝で練習できる。神戸ユースはチャラい子が多かったという印象があって、『そっちに絶対走る』という考えが自分の中であった。小学生時代の監督からも『絶対にサンフレッチェに行った方が良い』と言われた」と、神戸入りを断った理由も明かした。
環境面を重視した上での進路選択を強調した柏木氏だが、同期である槙野智章氏の存在も大きかったという。内田氏から強力な同期について訊かれると、「(槙野ら同期の存在が)めちゃくちゃプラスだった。サンフレッチェユースに行っていなかったら、今の俺はない。上手い人たちとサッカーをすれば、自分もさらに上手くなる。『負けたくない』という(感情がある)。そのような環境に身を置けたことは、自分の中でプラスだった」と胸を張っている。