第25回目となる試合が開催されたのは湾岸戦争突入からわずか10日後で、会場には愛国的なムードが漂っていたという。Todayによると、ホイットニーは2000年に発売したベストアルバムに伴うインタビューで「当時は湾岸戦争の最中だった。 私たちの国にとって激しい時代であり、 私たちの娘や息子の多くが海外で戦っていた。 スタジアムで恐怖、希望、激しさ、祈りが高まっているのが見えた」と振り返っている。

なお、パフォーマンス中のホイットニーのマイクは切られており、スタジアムやテレビに流れたのは事前録音された音声だった。これが後に物議を醸すことにもなるが、長年ホイットニーの音楽ディレクターを務めたリッキー・マイナーは「群衆の音が押し寄せるのをリハーサルする方法はない。最初の音がどこから始まるのかわからない」と、必要に迫られての判断だと明かしている。

スーパーボウルを巨大イベントに仕立てた立役者とされるジム・スティーグ氏によると、1月初旬にフロリダオーケストラによる演奏が収録され、その約一週間後にロサンゼルスでホイットニーのボーカルトラックが録音された。同氏は後に、ボーカルテイクについて「驚くことに、彼(マイナー)が言うように、一発で録り終えた」と明かしている。

録音を聞いたNFLの幹部は当初アレンジに難色を示したという。国歌は本来3拍子だが、ホイットニーとマイナー、ベーシストでアレンジャーのジョン・クレイトンが手がけたアレンジは4拍子に変更され、テンポも落としていた。関係者によると、NFL側は観客から不満の声が上がるのを恐れていたという。スティーグ氏と父親でマネージャーだったジョン・ヒューストン氏との間で再録の可能性について話し合いが持たれたが、最終的に録り直しは行われなかった。なお、マーヴィン・ゲイは他界する前年の1983年、NBAのオールスターゲームで4拍子版の国歌を歌っており、ホイットニーはこれを気に入っていたという。

ホイットニーのパフォーマンスは大反響を呼び、試合から3日後、所属先のアリスタ・レコードはカセットとVHSで発売することを決定。収益を戦争関連の慈善団体に寄付すると発表した。