「紅茶に塩を入れると完璧な一杯が得られる」
このたった一言の提案が米英の同盟関係を揺るがす事態となっています。
先日、アメリカの大学教授が自身の著書で「完璧な紅茶を作るにはひとつまみの塩を入れるといい」と発表しました。
これがイギリス国内で「紅茶への冒涜だ!」「アメリカ人にまともな紅茶は淹れられない」と猛烈な反発を招く騒動に発展。
これを受けて、アメリカ駐英大使は「イギリスの国民的飲料に塩を加えるのは言語道断であり、アメリカの公式見解ではない」と声明を出すなど、両国の外交問題に発展しています。
しかし「紅茶に塩」とは一体どういう根拠に基づいた話なのでしょうか?
ひとつまみの塩を入れると紅茶の「苦味」が消える?
ことの発端は今月24日に米ブリンマー大学(Bryn Mawr College)の化学者ミシェル・フランクル(Michelle Francl)氏が出版した一冊の著書『Steeped: The Chemistry of Tea』でした。
本の中でフランクル氏は「紅茶にひとつまみの塩を加えることで苦味を減らすことができる」と主張しています。
紅茶に入れるものといえば角砂糖かミルクが一般的ですが、なぜ真逆の塩を入れるのでしょうか?
同氏は自身の主張について「まったく新しいアイデアではなく、何世紀も前から行われていること」と述べています。
氏はこの研究にあたり、1000年以上前の古文書や過去の研究論文を分析し、8世紀の中国の古文書にもお茶に塩を入れる慣習が記載されていたという。
フランクル氏はこの方法を化学者として分析し、その仕組みを理解しようとしました。
その結果、食塩に含まれるナトリウムイオンの働きで、紅茶の苦味を感じさせる受容体をブロックできることが示されたと説明します。
ただし重要なのは塩を入れすぎないことで、塩辛さを感じない程度のひとつまみの塩を入れるだけで、紅茶の苦味成分が中和されるのだという。

ところがこのニュースがイギリスで報じられると、古くから紅茶を愛するイギリス人たちは激しい拒絶反応を示しました。
英紙デイリーメールのコメント欄では「絶対にありえない」「アメリカ人にまともな紅茶は淹れられない」「アメリカは紅茶ではなくコーヒーだけにこだわっていればいい」との批判的な意見が相次いでいます(Daily Mail, 2024)。
この騒動でイギリスとの平和外交に亀裂が走ることを危惧したアメリカの駐英大使は、公式にフランクル氏の見解を否定する声明文を発表する事態に至りました。
それがこちら。
「今日のメディアで、アメリカの大学教授が主張した”完璧な”紅茶の淹れ方の報道により、米国と英国の特別な絆が窮地に立たされることとなりました。
紅茶は友愛の万能薬であり、両国を結びつけてくれる神聖な絆です。
紅茶に塩を入れるという言語道断な提案は、我々の特別な関係の根幹を脅かすものであり、看過することはできません。
このあり得ない発想はアメリカの公式見解ではありません。そしてこれからも決して。
そのことをイギリスの善良な人々に約束したいと思います。
An important statement on the latest tea controversy.
pic.twitter.com/HZFfSCl9sD
— U.S. Embassy London (@USAinUK) January 24, 2024
ところが、声明文の最後に付け加えた「米国大使館はこれからも紅茶を”電子レンジで温める”という正しい方法で作り続けたいと思います」という余計な一文が、またイギリス人の反感を買ってしまいました。
アメリカでは紅茶を淹れる際に、ティーバッグを浸したカップの水を電子レンジでチンするのがごく一般的だそうですが、イギリスでは、ポットで沸かしたお湯で紅茶を淹れるのがマストです。
これについてはフランクル氏も著書の中で「決して電子レンジで水を温めないこと」と注意しています。
電子レンジで温めると水がすぐに沸騰してしまい、酸素が十分に出ていかないまま、茶渋の発生を促してしまうので、紅茶の表面に灰汁(あく)ができやすいのだという。

この一連の騒動は当然ながらフランクル氏の耳にも入りました。
「自分の電子メールを見て、とんでもない騒ぎになっていることに気づきました。今朝起きたら、たくさんの人が紅茶に塩を入れることについて議論し合っており、まさかこんな事態になるとは思いませんでした」
「私は決して外交問題を引き起こすつもりはなかったのです」と話しています。
その一方でフランクル氏は自身の研究についても自信を持っており、本の中身を見ずに判断したり、偏見を持たないでほしいと述べました。
「ぜひ、自宅で実験してみて、内なる化学者を呼び覚ましてください」と続けています。
英米の紅茶をめぐる紛争は250年ぶり!
紅茶に塩を入れる以外にもフランクル氏の著書には、美味しい紅茶を淹れるためのヒントが記されています。
例えば、「レモン汁を少し絞れば、紅茶の表面に浮いている灰汁(あく)を取り除くことができる」とか、「紅茶の温度を保つには背の低いどっしりしたマグカップを使うこと」とか、「茶葉のカフェインを抜くには、最初にティーバッグを浸してから30秒待ち、その液体を捨てて、また新しいお湯で5分ほど抽出すること」などです。
フランクル氏は10歳のときに母親が淹れてくれた紅茶を初めて飲んで以来、大の紅茶好きだという。
「アメリカ人の紅茶を淹れる習慣は本当にひどいもので、アメリカの高級レストランで飲んだ紅茶よりも、アイルランドのガソリンスタンドで出された紅茶の方が美味しかった」と自身の経験を述べました。
ですから、今回の研究は決してイギリスの紅茶文化をバカにするものではなく、アメリカ人が美味しい紅茶を簡単に淹れるためのヒントを見つけるためのものだったと話しています。

実をいうと、アメリカとイギリスの間で紅茶をめぐる紛争が起こったのはこれが初めてではありません。
1773年に、イギリスの植民地だった米東部マサチューセッツ州ボストンにて、イギリス側の課した重税に反発したアメリカ人が、船に積んでいた300箱あまりの紅茶を海に投げ捨てるという事件が勃発しました。
後に、ボストン茶会事件として知られる出来事です。
結局、この騒動はアメリカ独立革命を引き起こすきっかけともなりました。
やはり国の文化を代表するものに、私たちはどうしても敏感になってしまうのかもしれません。
日本人だと例えば、「美味しい寿司を食べるには醤油でなく、甘いシロップをかけるべきだ」と言われるようなものでしょうか。
これはどう考えても不味そうですが、”紅茶にひとつまみの塩”はもしかしたら本当に美味しいかもしれないので、ご自身の舌で確かめてみるのをオススメします。
コーヒーにひとつまみの塩を入れると苦味が消える?
参考文献
‘Outrageous’ tea recipe involving pinch of salt draws US embassy comment
How to make the perfect cup of tea, according to chemistry
US scientist recommends adding salt to make perfect cup of tea
元論文
Steeped: The Chemistry of Tea
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。