日本の細菌学者でノーベル賞候補にもなり、2024年時点で千円紙幣の肖像に選ばれてから20年目を迎えた 野口英世。幼い頃に囲炉裏に落ちて左手に大火傷を負うも、16歳の頃、手術によって左手が使えるようになったことに感激し医師を目指すようになったというエピソードは有名である。 特に黄熱病の研究でも知られ、病原体発見とワクチン開発に尽力したものの、自身も黄熱病に罹患し51歳という若さでこの世を去った。
病に苦しむ人々を救うために生涯を捧げた偉人、そのように思えるが一方ではかなり問題を抱えていた人物であったようである。
彼にはとにかく金銭絡みのエピソードが多かった。 20歳で上京した際、 恩師知人たちからの餞別として現在の価値でおよそ80万円もの大 金を手にしたが、そのほとんどを芸者遊びなどで使い切り、借金を繰り返すようになっていった。
費用を使い果たしたことで下宿からの立ち退きを迫られた彼は、高山高等歯科医学院(現東京歯科大学) で講師をしていた知人の血脇森之助に援助を求めた。この時、血脇自身はそこまで金に余裕がある立場ではなかったため、 はじめはこれを拒否していたのだが、この時に野口は血脇に上司へ昇給を交渉させることを提案、 結果的に血脇は給料が上がることとなったが、野口への援助のための昇給というその心境は如何ほどのものだった のだろうか。
野口はアメリカ人女性と結婚したが、実のところ日本人女性と婚約していたことがあった。アメリカ留学を希望していた彼は、知人から金を借りる中で、女学生であった斉藤ます子と婚約、帰国したら結婚すると言って結納金を手にしたが、これらの金も渡米前に芸者遊びで使い果たし、血脇が借金をしてやっと留学することとなった。斉藤の親からは結婚の催促がたびたびあったものの彼は返事を濁し 続け、結果的に相手から婚約破談の申し出がなされたという。もはや借金王とも言えるほどに、金を得ては遊びに回し、 使い果たせば無心を繰り返していた野口であるが、このことについては彼の改名にも深く関わっていた。彼は元々「 野口清作」という名前であったが、21歳の頃に坪内逍遥の小説『 当世書生気質』を読んでいると、その主人公の名前が「 野々口精作」というあまりにもそっくりな名前であった。 それどころか、田舎から出てきた医学生であり、 女と酒にはまって自堕落な生活を送り、 最後には自暴自棄となり自殺してしまうという内容に、 野口は自分をモデルにしていると思われることをひどく恐れ改名へ と踏み切った。それは、 近所に住む血縁関係の無い野口家から養子をもらい、同じ土地に「 野口清作」 が二人いることを理由にするため仕立てるほど手間をかけたもので あったという。
彼は幼少期の手の障害の影響もあってか同情を買うのが上手く、また言葉も巧みであったと言われている。その一方で語学をすべて独学でマスターできるほど勉学は優秀であ ったため、周囲から呆れられつつも将来性は強く期待されており助けられて生 きていた人物であった。金にとことんだらしなかった彼が、 紙幣の肖像画となったのは、なんとも数奇な縁である。
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【文 黒蠍けいすけ】
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提供元・TOCANA
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