京都の夏は忙しい。
各寺社仏閣で京都の酷暑を無事乗り越えられるようにお祈りや祭事が続きます。今年はコロナ禍にあるため多くが延期またはキャンセルになってしまいましたが、京都人にとって大切な「お盆」の行事は縮小しながらもご先祖の霊に失礼がない程度に行われました。
目次
先祖の霊をお迎えに行く~京の盆『六道珍皇寺』
先祖の霊をお迎えに行く~京の盆『幽霊子育飴』『六波羅蜜寺』
先祖の霊を冥土へお送りする『五山の送り火』
京の地蔵盆~六地蔵巡り~
先祖の霊をお迎えに行く~京の盆『六道珍皇寺』
平時であれば、8月のお盆の始まりは臨済宗建仁寺派に属する『六道珍皇寺』へお参りしてご先祖様の霊をお迎えに行く『お精霊迎え"六道まいり"』通称「ご精霊(しょらい)さん」から始まります、600年続く夏の風物詩です。酷暑の中、毎年「ご精霊さん」で汗だくになりながらも長い列に並ぶのですが、今年はコロナ禍で「初盆の人のみに限る制限開催」とともに「オンラインによる代参供養」という形で行われました。
「ご精霊さん」は期間中(8月7日~10日)、「お迎え鐘」を鳴らしご先祖様が憑依されたとされる高野槙を手に、線香で水塔婆を浄め、地蔵堂前の賽の河原と称する場所で故人の戒名が記された水塔婆に浄水を手向け供養してお精霊さんが無事に家族の元に戻れるようお迎えにあがることを言います。
『六道珍皇寺』の「六道」とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅(阿修羅)道・人道(人間)・天道の「六種の冥界」のこと。
寺のある場所が「この世」と「あの世」の境の辻とされ、古来より冥界への入口とも信じられてきたという話をご住職から聞きました。
当時は今の約10倍の面積があり、この先にある清水寺の麓の鳥辺野という「とむらいの場」へと遺体を運ぶ際に必ず通った『松原通』が寺前にあります。それはもとの『五条通』のことで、三途の河原に見立てられた鴨川に掛かる松原橋を渡ったらすぐに六道さんでした。
ここには『閻魔大王』や『小野篁』の像や様々な地獄絵が置かれており、昼は朝廷の文人官僚、夜は冥府の閻魔庁で働いていた小野篁が「あの世」と行き来した「冥府通いの井戸」があることでも知られてます。そのパワーたるや、いつ行ってもすごいものです。閻魔大王や小野篁と目を合わせることで姿勢がピシッと正されます。(写真厳禁)
平安前期782年~805年の開創とされてる六道珍皇寺さんはご住職のお話を伺いに行くだけでもかなり興味深く、京都の人に長年親しまれている通称「六道さん」です。
先祖の霊をお迎えに行く~京の盆『幽霊子育飴』『六波羅蜜寺』
『六道さん』から鴨川の方へ向かうと右手に京都で2番目に古いお店と言われ500年続く『みなとや幽霊子育飴本舗』、左手に『六波羅蜜寺』が見えてきます。
幽霊子育飴とは、毎夜鳥辺野から女性が飴を買いにきており不思議に思った店主が後をつけるとお墓の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきたそう。お寺の住職と一緒にお墓を掘ってみると、中から飴をくわえた赤ん坊が出てきたという話。母親の深い愛が伝わる逸話で『ゲゲゲの鬼太郎』が誕生するキッカケになったそうです。京都ではここの飴を子供だけでなく妊娠中や授乳中のひとが舐めたりします。私も姪や甥が生まれた時に家族のために買いに行ったのを懐かしく思います。
951年開基、文禄4年(1595)に智山派真言宗となる『六波羅蜜寺』では、六道巡りと同じ頃に「六波羅蜜寺万燈会」が行われます。
平安時代、疫病が続き野辺送りできなくなった遺体を鴨川の河原に捨て置き、その骸を火葬して弔り、疫病の庶民を救うため十一面観音像(秘仏)を置き、町に出かけて救済を施し「南無阿弥陀仏」を唱える念仏行を教え廻ったことで知られるのが六波羅蜜寺の元となる『西光寺』を作った市聖(いちのひじり)、又の名を『空也上人』。
教科書で口から小さな人(?)が出てきている写真を見たことがないでしょうか?あれは念仏を唱える空也上人の口から六体の阿弥陀が現れたという伝承からきているそうです。その像がこちらに祀られています。上人は踊りながら念仏を唱えれば誰でも極楽浄土へ行けると説き、その『踊り念仏』は今でも年末に、一年の罪を消し去り、新年を迎える行事として本堂で執り行われています。
盆に行われる『六波羅蜜寺万燈会』とは密教の五大(地・水・火・風・空)を表す「大」の字の5つの端のそれぞれ据えた16のかわらけに108つの燈明が灯されることを指します。先祖の霊(お精霊)を迎えて、七難即滅・七福即正を祈願します。「すべての実相は5大より生じ5大に帰す」という密教の五大思想に由来しており、平安時代中期の963年に空也上人が約600名の高僧を集めて大萬灯会を行ったのが起源で8月8日から10日の期間をさす「京の盂蘭盆(うらぼん)」の行事。
お盆の最終日8月16日に毎年ご先祖の霊を冥土へお送りする「五山(大文字)の送り火」の原形になったという話もあります。
七難は太陽の異変・星の異変・風害・水害・火災・旱害・盗難、七福は寿命・有福・人望・清簾・威光・愛敬・大量を表し、罪障を懺悔して滅罪を祈願します。
六波羅蜜寺にも「お迎え鐘」があり、地下に埋まっているという面白いもので日本で最初の地下の釣鐘とされてます。また、黄金に輝くシタールを持った弁財天(普通は琵琶を持った弁財天が多い)や銭洗い弁財天も有名です。芸能や商売の神様で、都七福神のお寺の一つとしても知られてます。
先祖の霊を冥土へお送りする『五山の送り火』
毎年8月16日に行われる京都のお盆の伝統行事で京都市登録無形民俗文化財「五山の送り火」。今年はこちらも縮小した形で行われることになりました。江戸前期には京都の盆の精霊さんを見送る代表的な行事になったと言われており、京都人にとっては大切な行事の一つ。
そとからの観光客が多くなったことで宗教色は薄れてきましたが、我が家でも毎年16日は早朝に家族揃って大文字山がある麓の寺で護摩木に戒名を書いて奉納し、その護摩木で文字が形造られ20時になると順次点火されます。
今年は「大文字」は「大の字」の中心部と頂点、端の計6カ所に点火、「鳥居形」は上部2カ所のみ、「左大文字」は「大の字」の中心1カ所の点火「船形」は頂点1カ所の点火「妙」「法」はいずれも中央部のみの点火になりました。例年よりもかなり少ない人混みでしたがそれでも京の人々は道に出て、そっと手を合わせていました。
孫たちと数珠を持って山に向かうご高齢者のお姿を見て和やかな気分になりました。
コロナ禍で亡くなられた方の鎮魂の意味も込め、数少なく点火された力強い灯火は闇夜にひっそり輝いていました。
京の地蔵盆『六地蔵巡り』小野篁と地蔵信仰
小倉百人一首にも和歌が収録されている小野篁(おの の たかむら)。歌人としてだけではなく、前述したように六道珍皇寺の庭にある井戸から冥府へ毎晩通い、閻魔庁で閻魔大王に仕えていたと言われる謎多き方です。
その篁は48歳のときに一度息絶えて冥土に行き、生身の地蔵菩薩を拝して甦った後に、冥土で会ったお地蔵さんの姿を再現して一本の桜の大木から六体の地蔵菩薩像を作りました。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道に迷い苦しむ修生を救済せんと発願せられた仏様。「六道の迷いの世界を巡って縁のある人々を救っているが、縁のない人を救うことはできない。この地獄の有様と地蔵菩薩のことを人々に知らしめて欲しい」と言われたそう。それらは六地蔵と呼ばれる地域に奉納されました。
六地蔵を深く信仰した後白河天皇の勅命で平清盛が西光法師に命じ(1156-1159)、都を往来する旅人たちの路上安全、庶民の疫病退散、福徳招来を願って、その六体のお地蔵さんを京都に出入りするそれぞれの街道沿いにあるお寺に分け、安置したと言われています。
- 奈良街道-大善寺-伏見六地蔵
- 西国街道-浄禅寺-鳥羽地蔵
- 丹波街道-地蔵寺-桂地蔵
- 周山街道-源光寺-常盤地蔵
- 若狭街道-上善寺-鞍馬口地蔵
- 東海道 -徳林庵-山科地蔵
悪いものが京の都に入って来ないように守ってくれるという道祖神的な役割を期待されており、六体のお地蔵さんをお参りする風習が地蔵信仰となり、毎年8月22日・23日に行われているのが『六地蔵めぐり』です。かつて六地蔵巡りは、地蔵尊を背負い六斎念仏、賽の河原地蔵和讃などを唱えながら廻ったといいます。
各寺で授与される六種のお幡(はた)(1体300円)を家の入り口に吊すと、厄病退散、福徳招来すると言われています。800年もの間、毎年8月になると行われてきたかと思うと京都の人の信仰心の強さや信心深さに感嘆です。
私も今年はコロナ禍の中、高齢者である親のために六体の地蔵を巡ってみました。外周総距離50~60kmと言われる距離を昔の京の人たちは一日かけて巡り歩いていたそうですがこの京都の酷暑でさすがにその気にはなれず、自転車で巡ってみたところ案外、どこも訪れやすかったことに驚きました。お幡と同時に御朱印もゲット。
例年はすごい人で溢れかえる『六地蔵めぐり』も今年はさすがにそれほど多くの人は見かけませんでした。また実際に自転車で回ることで、自分の中での結界を張っている感じがしました。悪病や厄を寄せ付けません!という意気込みです。
大善寺(伏見六地蔵)
六体のお地蔵さんが最初に奉納されたのが『六地蔵』にある大善寺。真綿が蚕から作られることから虫供養の意味を込めて綿をかぶられています。観音堂の十一面観音立像は通常事前予約が必要ですが、六地蔵めぐりの時にはこちらも戸が外され自由に拝観ができます。
浄禅寺(鳥羽地蔵)
文覚上人が開基した浄禅寺。そこでは鳥羽地蔵さんの前で般若心経を唱える僧と信徒さんたちがいらしゃってご詠歌が聞こえてきました。ここは十一面観音像も市指定文化財で、この日だけご開帳されます。
地蔵寺(桂地蔵)
地蔵寺にある桂地蔵は、一木の一番根元に近い最下部を使って作られた高さ約2.65mもある一番大きな地蔵で「姉位菩薩」と呼ばれています。
源光寺(常盤地蔵)
地蔵寺とは反対に、源光寺にある常盤地蔵は六体の中で一番最後に作られ、小さいので「乙子地蔵」とよばれています。
上善寺(鞍馬口地蔵)
上善寺にある鞍馬口地蔵は「姉子地蔵」と呼ばれるほど女性的。深泥池にあったものが明治初期の廃仏毀釈によりこちらに移されたそうです。
徳林庵(山科地蔵)
地獄に落ちても救ってくださるありがたいお地蔵様がいらっしゃる山科地蔵は私の地元からも近く、毎年四ノ宮の地蔵盆は「四ノ宮祭り」と呼ばれ屋台が多く出て歩くのが困難なほど多くの人が集います。今年は地蔵巡りのみで私が着いた時には閑散としており夜空に白く塗られたお地蔵さんの顔がくっきり見えていました。
「目の神さん」「ひとやすさん」「さねやすさん」とも呼ばれた人康親王の化身とも伝わるお地蔵さん。ここは盲目の「琵琶法師の聖地」とも言われています。
見る人によって顔の印象が違う像として知られる、『閻魔天』もご開帳されます。地蔵菩薩の化身といわれる閻魔大王の若い頃の姿を表した像が閻魔天と言われています。
疫病に悩まされ続けた京都ならではの伝統ある疫病退散を願う夏の行事。
長年ものあいだ、京都の人が幸せを願いお参りするこの伝統行事にロマンを感じ、また同時に今でも続く疫病コロナ禍が早く治ることを願うばかりです。
文・写真 D’RICA/提供元・たびこふれ
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