中世ヨーロッパで最も陰惨な戦争の一つとされる「ゴットランドの戦い(the Battle of Gotland)」

そこで壮絶な死を遂げた男性の顔がこのほど、ブラジル人3Dデザイナーのシセロ・モラエス(Cícero Moraes)氏の手により復元されました。

男性の頭蓋骨には、アゴの左側から口、鼻にかけて斜めにザックリと穴が空いており、これが調査の結果、手斧による一撃で付けられた可能性が示されました。

また、リアルな傷跡と生前の顔の復元により、戦争の悲惨な実態が明らかにされています。

ゴットランドの戦いとは一体どんな争いだったのでしょうか?

研究の詳細は、プレプリントが2022年10月30日付で3Dコンピュータグラフィックス専門誌『OrtogOnLineMag』に公開されています。

武装傭兵が農民を虐殺した「ゴットランドの戦い」

この陰惨な戦いは、1361年7月22日、スウェーデン南東に浮かぶバルト海最大の島・ゴットランド島にて勃発しました。

当時、デンマークを統治していたヴァルデマー4世(Valdemar IV、1320〜1375)は、領土を広げるため隣国のスウェーデンに侵攻。

スウェーデン南部のスコーネ地方とエーランド島を征服した後、さらに版図を拡大すべく、ゴットランド島に狙いを定めました。

スウェーデン本土の南東に浮かぶゴットランド島(赤色)
Credit: ja.wikipedia

デンマーク軍の兵力はおよそ2500人の武装傭兵、対するゴットランドは、ろくな訓練もしていない地元農民1800人が主力でした。

しかも、そのうちの3分の1は若者と高齢者だったことが分かっています。

ゴットランド北西の都市ヴィスビューで激突した両軍(ゆえに”ヴィスビューの戦い”とも言われる)には、ご想像の通り、戦闘力に残酷なまでの差がありました。

ゴットランド軍の農民はあっという間に惨殺され、大量の死者が出たといいます。

あまりに戦死者が多かったため、個別の丁寧な埋葬ができず、ほとんどがそのまま衣服ごと葬られたようです。

フレスコ画に描かれたヴァルデマー4世(1320〜1375)
Credit: ja.wikipedia

戦いの後、生き残った農民やその家族は、これ以上の虐殺を止めようとデンマーク軍に降伏。

略奪から街を守るため、大量の資源と財産を譲渡しましたが、ヴァルデマー4世は結局、ヴィスビューを征服し、ゴットランド王を自らの称号の一つに加えました。

戦死者の遺体は、1905年から始まる考古学調査で見つかり始め、これまでに5つの集団墓地が確認されています。

1905年5月の発掘調査で見つかった「ゴットランドの戦い」の戦死者の遺骨
Credit: commons.wikimedia

3Dデザイナーのシセロ・モラエス氏と研究チームは今回、そのゴットランド農民の遺骨から、特に重傷を負っている頭蓋骨に目を留め、生前の顔を復元することにしました。