「どうする家康」が始まったが、画面は汚く安っぽいし、家康はあたりまえすぎるし、瀬名姫を妾にしたい今川氏真と嫁にしたい家康が今川義元の命令で剣術で勝負して賞品がわりに家康がもらうというフェミがCOLABO問題でお忙しくなければ怒りそうな訳の分からんストーリーで、おおこけの予感だ。
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大河ドラマ「どうする家康」公式Twitterより
個性的な星付きレストランのあとファミレスに入った感じである。それは、ともかく、基礎知識が欲しい人もおられるだろうから、松平家のルーツと瀬名姫(築山殿)についての史実を少し説明しておきたい。
まず今回は、「令和太閤記 寧々の戦国日記」(ワニブックス)から寧々の回想の形で紹介。
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於義丸(秀康)が人質になったことや義妹の旭姫の輿入れのことなどを話したついでに、德川家康さまのご家庭のことなどについて、私が聞いていた話をお聞かせいたしましょう。
家康さまが、清和源氏の新田一族だというのは、家康さまが将軍になりたいための作り話だという方もおりますが、さすがにそこまでいい加減ではありません。
松平家の先祖である親氏さまは時宗の僧侶で、応永年間に三河国に流れてきて、はじめ酒井氏の、ついで加茂郡の山間(豊田市)の松平氏の入り婿となり土着されたそうです。その頃から、「自分は上野国新田郡の新田一族で、世良田あるいは徳川と名乗っていたが戦乱で国を離れた」と言っていたようで、家康さまが言い出した話ではありません。もちろん、この親氏さまの身の上話が本当かどうかはわかりません。