元テレビ朝日アナウンサーで、法務部長をつとめた西脇亨輔さんは、2023年11月に28年間の「サラリーマン」生活を終えて、西脇亨輔法律事務所を開業。今後は弁護士業のみならず、法律の知識やマスメディアでの経験を生かしたジャーナリストとしての活躍が期待されています。
また、国際政治学者を相手取り、最高裁まで争い勝訴した「本人訴訟裁判」の記録『孤闘 三浦瑠麗裁判1345日』(幻冬舎・刊)を上梓した著者としても知られています。
子ども時代からの夢を胸に抱きながら、弁護士資格をもつ報道アナウンサーとして社会に出るという類まれなキャリアを歩んできた西脇さんにお話をうかがいました。
取材は2023年10月に実施しました。前後編にわけて公開します(本記事は前編、後編は1月17日(水)18時00分に公開予定)。
報道アナウンサーから法務部長へ
現在は弁護士として活躍する西脇さん
ーー西脇さんは弁護士資格のある元アナウンサー。これはめずらしいご経歴ですね。
西脇:僕の経歴って、とにかく変わっているかもしれません(笑)。法律を学ぼうと進学して、在学中の1992年に司法試験に合格しました。大学を卒業して、最高裁判所司法研修所に入所(47期)したんですが、司法修習の期間にテレビ業界へと進路を変えて、1995年にテレビ朝日にアナウンサーとして入社しました。
そこから『やじうまワイド』『ニュースステーション』『スーパーモーニング』などの情報・報道番組を12年間担当しました。後輩アナウンサーとの結婚を機に、2007年から法務部に異動して、現在(2023年10月)の部長職に至る……。こんな感じでしょうか。
ーー法律を学ぼうとお考えになったきっかけはありますか?
西脇:「法律家になりたい」と、最初に思ったのは小学生のときでした。個性的な先生がいらっしゃって、小学校で「模擬裁判」という授業があったんです。
新聞の事件記事を切り抜いて、読む。それから検察官・裁判官・弁護士それぞれの役に生徒が分かれて、その事件を題材にした模擬裁判を行うんです。検察官役がとても楽しかった。
先生に「どうやったら検察官になれますか?」と聞いたら「とにかく勉強をして、大学へ進学しなさい」と。その言葉だけでとにかく勉強をしましたね。
ーー検察官ではなく、弁護士を選んだ理由は?
西脇:仕事として考えたときに、海外で活躍する「国際弁護士」がカッコよく見えました。
とはいえ、司法試験に合格しても司法修習を終えないと弁護士にも検察官にもなれませんし、検察官・裁判官・弁護士それぞれインターンのように経験するなかで、どの仕事に就くかを考えていき、弁護士の道が見えてきました。