今回の舞台は、三重県熊野市。様々な神話や伝説が、数多く存在する地域です。天地開闢において神世七代の最後に生まれた、伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)。今回は、創世の女神 伊弉冊尊にまつわる神社を巡ってみました。

目次
伊弉冉尊とは
神話で受け継がれる、花の窟神社

伊弉冉尊とは

日本書紀の舞台。日本最古の神社、花の窟神社を訪れてみた
(画像=『たびこふれ』より 引用)

古事記では伊邪那美命、日本書紀では伊弉冉尊と記される、日本神話の母神です。伊弉諾尊と共に天から下り、大八島国と言われる日本を生み出し、その後多くの神々を生み出しました。

そんな中、軻遇突智尊(カグツチノミコト)という火の神を生む際に、伊弉冉尊は火傷を負ってしまい、そのことが要因となりこの世を去ることに。その際に葬られた場所が、花の窟神社だと言われており、日本最古の神社として現代に受け継がれています。

神話で受け継がれる、花の窟神社

平成16年7月には、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録されました。全国から多くの参拝者が訪れる花の窟神社とは、どのような場所なのか。実際に訪れてみました。

日本書紀の舞台。日本最古の神社、花の窟神社を訪れてみた
(画像=『たびこふれ』より 引用)

隣接する「道の駅 熊野・花の窟」に車を停め、いざ神社へ。

日本書紀の舞台。日本最古の神社、花の窟神社を訪れてみた
(画像=『たびこふれ』より 引用)

こちらは、入口です。厳かな雰囲気が漂っています。

日本書紀の舞台。日本最古の神社、花の窟神社を訪れてみた
(画像=『たびこふれ』より 引用)

参道もどこか神秘的で、木々の間から差し込む光が心地よく感じました。

日本書紀の舞台。日本最古の神社、花の窟神社を訪れてみた
(画像=『たびこふれ』より 引用)

途中には、稲荷神社と龍神神社もありました。ご挨拶を済ませて、いよいよ参籠殿へ。

日本書紀の舞台。日本最古の神社、花の窟神社を訪れてみた
(画像=『たびこふれ』より 引用)

鳥居から参籠殿までの道のりはそれほど距離がなく、平坦な道のりなので、年齢問わず訪れることができます。参籠殿を通りすぎると、目の前には伊弉冉尊が祀られている大きな岩が...!

日本書紀の舞台。日本最古の神社、花の窟神社を訪れてみた
(画像=『たびこふれ』より 引用)

花の窟神社には社殿がなく、その代わりにこの大きな岩が御身体となっています。斜め前には、伊弉冉尊の子である火の神・軻遇突智尊も祀られています。

日本書紀の舞台。日本最古の神社、花の窟神社を訪れてみた
(画像=『たびこふれ』より 引用)

愛する伊弉冉尊を失った伊弉諾尊は、悲しみのあまりに伊弉冉尊の死の原因となった軻遇突智尊を殺めてしまいます。生まれてすぐ、実の父に殺されてしまったという...。なかなか残酷なお話です。

伊弉諾尊だけではなく、様々な願いを叶えてくれた伊弉冉尊の死を人々は悲しみ、感謝の気持ちを込めて祭礼を行うようになりました。それは、「お綱かけ神事」と呼ばれるもので、2月2日(種まきの時期)と10月2日(刈入れの時期)に行われます。

日本書紀の舞台。日本最古の神社、花の窟神社を訪れてみた
(画像=『たびこふれ』より 引用)

綱は藁縄7本を束ねたもので、そこに3つの旗縄が吊るされています。7本の縄は伊弉冉尊が生んだ7つの自然神(風、海、木、草、火、土、水)を表し、3つの旗縄は伊弉冉尊が生んだ三神(天照大神、月読尊、素戔嗚尊)を表しています。日本や神話のルーツを辿ることができる、希少な場所となっています。