鉄の檻は狭まっている

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ドイツの社会学者マックス・ウェーバーはかつて「鉄の檻」という表現を用いて、社会システムの構築はシステムの中に個人を閉じ込めてしまう、と言った。
目的論的な効率・合理的な計算に基づいた「スペシャリスト的・線形世界観」によるシステムやマニュアルが、逆に人間の可能性を限定し、生活を窮屈にすると言ったのである。
考えてみてほしい。もし今後、「自動運転」が普及したら、GPSを内蔵したマイクロチップを子供の体に埋め込んだほうが良いのだろうか?
スペシャリストの線形世界観だけで考えれば、それがベストだろう。
子供の位置情報がわかっていれば、自動運転の車を近づけないこと、死亡事故をゼロにすること、は容易に出来るだろうから。
しかし、我々は果たしてそれで幸福になれるのだろうか?
システムという名の「鉄の檻」はどんどん我々の生活を小さな世界に閉じ込めて行ってしまっているのではないだろうか?
専門家・スペシャリストの導き出す比較的狭い世界の「正解」を頼りに社会システムを構築していって本当に大丈夫なのだろうか?
もっとジェネラリスト的な大きな思考を取り入れたほうがいいのではないだろうか?
僕は、ひろゆき氏・ホリエモン氏の発言と、介護のエキスパートたちの発言を比較して、こんなことを考えた。
皆さんはどうお思われるだろうか?
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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