酒呑童子(しゅてんどうじ)は、丹羽国(現在の京都府) の大江山に棲むと伝えられている鬼の頭領である。京の都に一党を率いて現れては人々を苦しめ、その後討伐隊が退治のために山へ入り、そこで出会ったとある老人がくれた不思議な酒を鬼たちに与え泥酔させ、ついには退治された、という大まかなストーリーとして知られている。

 酒呑童子はその名の通り童子つまり稚児の姿をしており、大酒飲みで都からさらった貴族の姫たちをはべらせていたという。この酒をこよなく愛するということも相まって、「酒呑童子」と呼ばれるようになったと言われている。物語によれば、不思議な酒を飲まされた酒呑童子が横になったところ巨大な鬼の姿となり、その寝入ったところを急襲されたとのことだ。

 さて、酒呑童子への最大の疑問は、なぜ「鬼」であったのかということだろう。『御伽草子』 に描かれた童子本人が言うところによると、かつて童子は越後国に生まれてその地の山寺に稚児として入れられた人間であったのだが、殺人を犯してしまい逃亡、その後あちこちの山を転々とするうちに鬼と化したという。奈良絵本『酒典童子』には、芸能の出し物で鬼踊りを提案、その作り上げた鬼の面とお踊りが評判となったことに機嫌を良くし、面を取らないまま酒を飲み眠ってしまったが目を覚ますと鬼の面が外れなくなってしまったという異なった内容が描かれている。

 また、酒呑童子が生を受けた経緯も興味深い。酒呑童子は「母親が信州戸隠山に参拝祈願したことで権現から授けられた」 あるいは「人間の男に変化した伊吹大明神(ヤマタノオロチ) と長者の娘との間に生まれた」と語られている。すなわち、 山の神や龍神の子として生まれたこととなっている。つまり、 酒呑童子が稚児として山に住まうのは土着の山の神などの名残と言えるのである。

 さらに、酒呑童子が山から追放されたことについては、伝教大師や弘法大師が関与しているというと文献にも描かれている。都で信仰される仏教などの勢力が、土着の信仰を追いやったのではないかという図式がここに現れているとも考えられているのだ。ここには、先住民と征服者すなわち 敗者たる鬼と勝者たる人間のイメージへと発展したとも推測できるのである。

 ちなみに、元来「魂」や「死者の霊」を表した鬼が、現代でイメージされる姿の鬼となったのは酒呑童子がきっかけであると言われている。それは、都を害する妖怪あるいは化物としてあからさまに敵として描かれたであろうことが見て取れる。被征服者の具現化、それが酒呑童子だったのかもしれない。

【参考記事・文献】
・小松和彦『日本妖怪異聞録』
・トライラテラル研究会『闇の超古代史』

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文=ナオキ・コムロ(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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提供元・TOCANA

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