時代とともに文章は変化する
ニュースサイトで書き始めた頃の話です。トレンドを理解するために、著名な日本語学者のテキストを読みあさりました。あるサイトで以下のような説明がされたのを覚えています。「日常的なコラムであればA氏がお勧めです。B氏の格調高い文章も捨てがたいですね」。
B氏の格調高い文章はお手本として、多くの人にとってバイブルになるという趣旨だと理解しました。ところが、最近になってB先生を批判する人が多いことに気がつきました。以前は「お手本」だったものが、今ではそうではないのです。文章や話し方は時代とともに変わるので、当然といえば当然のことなのでしょう。
小説家、丸谷才一「文章読本」(中央公論社)には、次のような記述が確認できます。
名文であるか否かは何によって分れるのか。有名なのが名文か。さうではない。君が読んで感心すればそれが名文である。たとへどのやうに世評が高く、文学史で褒められてゐようと、教科書に載つてゐようと、君が詰らぬと思ったものは駄文にすぎない。
丸谷は、決めるのは読み手自身と明言しています。さらに、文章を見極める視点を持つことを推奨しています。では、時代の変遷に左右されない普遍的なお手本とは何か。
中原淳一という、昭和に活躍した作家がいます。彼は、少女雑誌「ひまわり」の昭和22年4月号に次のような文を寄せています。
美しいものにはできるだけふれるようにしましょう。美しいものにふれることで、あなたも美しさを増しているのですから。
今の時代でも通じるようなクオリティーのコピーだと思いませんか。時代の変遷に左右されない普遍的なお手本とは、著者の技術的探求の結晶ではないかと思います。このような文章を、ChatGPTが創作することは困難です。至極の文章は色褪せることがありません。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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