その若者たちは委縮し、ワークライフバランスに走るのはいいけれど草食系になり過ぎました。
失われた30年をどう見るか、なのですが、デフレとか日銀や政府が悪い、という悪玉論は数多くありますが、私は「競争を好まない日本の当然の帰着点」ではないかと想定しています。もしもこの仮説が正しいなら失われた〇十年は50年でも100年でも続くことになります。世界経済が躍進すればするほど日本の能力は埋もれるのです。
とすれば「だめだめ」ではなく「ケセラセラ」型とも言えます。日本人に悲壮な表情の人は少なく、毎日をしっかり生きています。お金のあるなしに関係ないのです。一人当たりGDPなんて無縁の話。それより明日のコメと味噌があればよいわけです。それは海外にいる私からみて実に「質素な歓び」なのです。素朴で派手さがなく、肩に力が入っていない日本人が社会で共生していることをしみじみ感じさせる心の豊さです。
GDPがなんだ、という声があるのも知っています。物事をどの視点からみるかの問題です。その点ではGDPは指数の一つでしかなく、それが真の豊かさを表現するものでもありません。が、なぜ、日本のGDPは世界に追い抜かれていくのか、という点を見ないふりをしてはいけないのでしょう。そしてこまごました理由を上げるのではなく、日本人の本質がそこに隠されているのではないかという大所高所からの検証が必要だと考えます。
50年後、日本は世界で最も地味でまじめでおとなしい国としての地位を維持、確立しているでしょう。しかし、常に日本が世界から何らかの形で着目される、そんな国でもあると思います。それは幸福と生きる歓びで満たされている世界でも稀な国だからではないでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年11月6日の記事より転載させていただきました。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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