イスラエルが和平ではなく、「歴史の公平さ」を主張し、パレスチナ側も同じように「民族の公平さ」を要求したならば、残念ながらイスラエルとパレスチナ両民族の和平は難しい。これまでの歴史はそのことを実証してきているわけだ。

「加害者」と「被害者」の関係が逆転するといった現象は中東だけに見られる現象ではない。また、国家、民族レベルだけではなく、社会レベルでも生じている。卑近な例だが、日本では安倍晋三元首相を暗殺した容疑者の供述に基づき、本来は被害者の立場となる世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が加害者となり、メディアからバッシングを受け、それを受けて岸田政権が旧統一教会の解散を要求するといった流れなどは、典型的な加害者・被害者の逆転現象と言わざるを得ない。そして暗殺者に同情と支援が寄せられ、旧統一教会側は反社会的グループという烙印を押されているわけだ。

例えば、欧州ではスイスのベルン大学の講師がソーシャルメディアでハマスのテロを称賛したことから、解雇されている。日本では一国の首相を務めた政治家を暗殺した人間が称賛されるような状況が見られるが、それを批判する声があまり聞かれないのは不思議だ。

「加害者・被害者の逆転現象」は社会学的にも興味深いテーマだろう。強者と弱者、大国と小国、成功者と失敗者、富者と貧者、多数派と少数派、そして「愛されてきた人」と「そうではない人」と分けていくと、後者には前者に対する強烈な嫉妬、恨み、憎悪が生まれ、犠牲者メンタリティが出てくる。それらのマイナスのエネルギーはある時点に達すると爆発する。共産党革命はその例だろう。大げさに表現すれば、世界で見られる「加害者・被害者の逆転現象」は革命前夜の危険な兆候ともいえるのではないか。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年11月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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