アステカの社会においては日常的に生贄を捧げる儀式が行われていました。
宗教的な理由で生贄が捧げられていたと説明されることが多いですが、どうやらそれ以外の目的もあったとのこと。
果たしてアステカ社会ではどのような目的で生贄が捧げられていたのでしょうか?
本記事ではアステカの生贄を捧げる儀式について説明しつつ、どうしてこのようなことが行われるようになったのかについて取り上げていきます。
なおこの研究は、別府大学アジア歴史文化研究所報 No.16に詳細が書かれています。
名誉なこととされていたアステカの生贄
アステカ社会の特筆すべき側面の一つとして挙げられるのは、人身御供の儀式です。
この儀式は世界中で見られることがありますが、アステカの場合は独自の要素が加わっており、その特異性が際立っていました。
生贄を捧げる儀式は、捧げる対象の神によって異なります。
例えばシペ・トテック(アステカの穀物神)では生贄の生皮を剥ぎ取り、それを神官たちが身にまとって数週間にわたって踊り狂う儀式が行われました。
一方テスカトリポカ(アステカの夜空の神)に捧げる生贄は、儀式を行う1年前に神官によってテスカトリポカに似た若い男性が選ばれます。
そして儀式の日に生贄は神のように崇められながら神殿の階段を上り、神官はその胸を切り裂き心臓を取り出します。
現代の視点から見ると、これらの儀式は非常に野蛮で残酷に思えますが、当時のアステカ社会では生贄にされることは名誉なこととされていました。
生贄には通常、戦争捕虜や高貴な出自を持つ者が選ばれ、神事の日まで丁重に扱われました。
例えばテスカトリポカに捧げる生贄は1年間宝石を身に着け、8人の従者と共に神のような生活を送ります。
また最期の1週間は歌い踊り、大食いをし、4人の若い女性と結婚しました。
また儀式によっては貴族や若者、さらには幼児が生贄にされることもあったのです。
アステカ社会の人身御供の神事は、その残酷さと独自性から、歴史の中でも特筆すべき出来事の一つとして記憶されています。
太陽を動かすエンジンとして、生贄を捧げる

それではどうしてアステカでは生贄の儀式が盛んにおこなわれていたのでしょうか?
その理由といわれているのは、アステカの創造神話です。
アステカの創造神話によれば、神々は自己犠牲をして太陽と月を創りました。
テクシステカトルとナナワツィンという神々が火に飛び込み、太陽と月が誕生したのです。
しかし、太陽と月は動かないため、神々は自己犠牲で彼らを動かすことにしたのです。
この神話から、アステカの人々は神々への感謝の意味で人身供犠を行うべきだと考えました。
また太陽が動かなくなると地震や飢餓が訪れ、現世が終末を迎えると信じられていたため、太陽に栄養を与え続けるために人身供犠の実践を行いました。
アステカ文化における人身供犠の正当性は、宇宙の運行と太陽の持続的な動きを確保するためであるという考えに基づいていたのです。