1980年代後半、日本車は欧州でも通用するクルマ作りに変換
世界一厳しい排ガス規制と呼ばれた「昭和53年規制」を乗り切った日本車は1980年代に高性能化の道を歩み始める。しかし、高性能化=最高速度アップに熱心で、クルマにとって大事な「曲がる/止まる」性能に関しては赤子同然だった。しかし、1980年代後半に日本の自動車メーカーはバブル景気も後押しし、「欧州で通用するクルマ作り」と言う流れになった。
その努力が大きく花開いたのが1989年だ。この年は今でも語り継がれる名車が数多く登場した事から、日本車の「ビンテージイヤー」と呼ばれている、1990年代までに技術の世界一を目指す901活動の象徴で世界に通用するパフォーマンスを備えた「日産スカイラインGT-R」(R32)、スバルを走りのブランドに変貌させるキッカケとなった「レガシィ」、走りの楽しさは絶対的な性能ではない事を教えてくれた「マツダ(ユーノス)ロードスター」が続々と登場、中でも忘れられないのがレクサスLS、日本では「トヨタ・セルシオ」だろう。
セルシオの凄い点はこれまでのトヨタ車とは異なり、世界基準モデルとして“ゼロ”から開発を行なった事だ。事後対策ではなく原因を元から断つと言う「源流主義」をスローガンに、走る/曲がる/止まると言った「基本性能」はもちろん、これまでクルマの性能の中ではネガ潰しであった振動騒音を商品力にした圧倒的な「静粛性」、そして細かい部分まで妥協なき「高品質/高精度」を実現した。
このクルマの登場により、それまで全く相手にされていなかったメルセデスベンツやBMWなど世界の高級ブランドが震撼、その後のクルマ作りが大きく変わった。それはイコール「日本のモノ作り」が世界に認められた瞬間と言っても良かった。
セルシオは現在のレクサスの原点。最近手に入れた
セルシオ(レクサスLS)の発表当時、筆者はまだ中学生だった。登場時に近所のディーラーにカタログを貰いに行ったが、「購入者にしか渡せられない」と手に入れられなかった。諦められない筆者は何とトヨタ本社(部署も何も書かずに)に手紙を書いて送った。すると後日豪華な厚手のカタログが送られてきて感動した事を覚えている(今でも大切に保管中)。さらにモーターファン別冊ニューモデル速報 第76弾「セルシオのすべて」を手に入れ、穴があくまでも読み漁った。
その後、歴代クラウンを乗り継いできた友人の祖父がセルシオの乗り換えた時に後席に乗せてもらったが、後席でも分かる乗り心地の良さ、エンジンが回っているのかどうか解らないくらいの静かさ/滑らかさに、「この車から、クルマが変わります」と言うキャッチコピーを子供ながら納得したのを覚えている。
現在、レクサスのニューモデルを取材する際にも、エンジニアの多くは「我々の原点はLS(セルシオ)」と語る。そんな原点をリアルに知りたいと思い、先日セルシオを手に入れた。登場から34年、さすがにガッカリするかな……と思いきや、逆に「今のクルマ、頑張れよ」と驚かされることも多い事にビックリ。いいクルマは時代を超える。