人海戦術で行う収穫の人手は、訪ねた生産合作社ではベトナム人とのこと。同じ区画でも株によって実の熟れ具合が違うので、人の目で判断する必要があり、株や実の形状からも機械化は困難らしい。最盛期は大勢を雇い、夜中の2時3時から始めるという。

今年6月、1日に「産経」が屏東の、11日に「毎日」が嘉義の生産合作社を取材し、パインの現状を報告している。

生産合作社とは、収穫物をクラス分けして包装するパッキング会社と生産農家が一体で経営する一種の組合で、パイン以外も様々扱う。むろんHACCP認証も取得済みだ。この生産合作社の仕組みは、今後のホタテ漁師と加工業者にとって一つの手本になると思う。

2年前の調べでは、台湾パインの生産量は年間約40万トン。国内9割・輸出1割で輸出の大半が中国向けだった。環球時報も20年の台湾パイン輸入量を4.2万トンと報じた。が、19年に中国が生産したパインは172万トンで、台湾パインのシェアは2.4%に過ぎない。

日本の台湾パイン輸入量は、21年は約1.8万トンで前年比8倍以上、22年も1.8万トン前後を維持し、23年は3月末までに約6千トンだ。一方、中国の台湾パイン輸入は22年に424トンに激減した。思うに、これは台湾人が大陸で経営する果汁会社向けだ。

パイン畑の後、その北に位置する国立屏東科技大学に立ち寄った。ここは日治時代の1924年4月に高雄州立屏東農業補習学校として開校し、初代校長には高雄区農業改良場長を21年間務めていた鳥居武男が就任した。

戦後、国民政府により台湾省立屏東農業職業学校と改称され、81年の国立屏東農業専科学校への改称などを経て、97年8月に国立屏東科技大学となった。この経過に見るように農業県屏東のこの100年を象徴する教育機関といえる。

一方で長い海岸線を持つ屏東は、「台湾有事」に人民解放軍とって格好の上陸地。それもあってか21年9月15日の「漢光演習」(陸海空3軍の演習)で、蔡総統は屏東県佳冬郷の「戦備跑道」(通常は公道で戦時に滑走路となる道路)を訪れ、演習を視察した。

こうした厳しい現実の中にあっても、退校時とあってリュックを背負ったバイクが列をなし、食堂では大勢の学生が談笑している。パイン畑の若い経営者もそうだが、学生たちもみな表情が明るく、屈託なく見える。熱帯性気候のせいかも知れぬ。

東北の漁業関係者もあやかって気持ちを明るく持って欲しい。前述のように中国の台湾パインのシェアは2.4%で、政治の道具として買っていたに過ぎなかった。日本のホタテのそれも4%だ。それも政治的だったとは言わぬ、が、なくて困らないのも事実。

この先「禁輸が撤廃され」ても、いつまた止められるか知れない。漁業関係者にはぜひ、この苦境を、国内消費と輸出先を西側諸国に切り替えて、より付加価値の高い業態に転換するチャンスにして欲しい。政府も国民も西側諸国も、必ず「この有事」を支援する。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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