人間、自分の無力さを知っていたらば謙虚な気持ちを持つことが出来ます。「之を後少し調べてみよう、分かる範囲で」となり、何か分かったとしても「それは極一部に過ぎないんだ、追究するぞ」となるわけです。孔子が言うように、常々あらゆる事柄につき可能な限り自分の耳目で十分確かめ、頭で考え抜き峻別して行く姿勢を有することが大事であり、知らぬことを知っているからこそ、謙虚な姿勢で何時何時も探究し続けることが非常に大事なのだと思います。

安岡正篤先生の御著書『東洋倫理概論』の中に、「造化は人を通じて心を発(ひら)いた。心は人の心であると同時に、造化の心であって、(中略)人がもの思うのは、すなわち造化がもの思うに他ならない」と書かれています。ですから、人間が天を知るために何をしたら良いかと言えば、人間を徹底的に究明することだと思います。人間究明こそが造化の心すなわち天意を知るために、我々が求められるのだと思います。

編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年9月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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