どのような産業であれ支配的事業者は競争を排除したがるものだ。なぜならば競争は自らの地位を脅かすからだ。だからあの手この手で取引相手を支配し、競争者を排除し、結果、市場を席巻しようとする。一度支配を構築すれば、それが崩れないようにさらなる手を打ってくる。

競争優位がその事業者の魅力に支えられているのであればよいがそうでない場合、それは競争過程を歪める力の存在とその行使として独占禁止法の登場となる。しかし強すぎる支配の場合、かえって強権の発動は難しくなることがある。

独占禁止法の話からはずれるが、先ほど「相手に生殺与奪の権利を握られているような場合には、明示的な脅しなど必要ない。むしろ優しい、いい事業者を演じているだけで十分だ。」と述べたが、元社長の性加害問題のポイントもこの構造にあるのではないか、と、最後に指摘しておきたい。

強すぎる支配の構造が問題を根深いものにしてしまった。忖度することすら知らない少年たちへの加害、忖度することで問題を見て見ぬ振りした大人たちのメディア。絶対的な存在であるが故に、性加害があっても抵抗できないばかりか、一部においてはそれを自分の中ではなかったかのように振る舞う思考の停止、誰にも相談できない孤独、歪んだ集団心理、一方では優しい指導者として愛着を抱いてしまう心理。非常ボタンを押して離脱した、あるいは追い出された人々が抱える深刻なトラウマ。

もし私がテレビのコメンテーターとしてコメントを求められたとしても、短い時間で適切にコメントできる自信がない。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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