国産車初のアッパーミドルクラスセダン?2代目スカイライン(1963年)

第1回日本GPで惨敗したプリンスが、翌1964年の第2回GPでは必勝を期してグロリア・スーパー6の2リッター直6SOHCエンジン「G7」をウェーバーキャブ3連装でチューン、2代目スカイラインのフロントを延長して強引に突っ込んだのが、「スカイライン2000GT」。
しかし今回はスカG伝説を語るのではなく、あくまで2代目スカイラインセダンの本質を語りたいので、GTは棚に上げておきます。
そのうえで2代目S50系スカイラインを見ると、初代の時点で既にグロリアより格下になっていたコンセプトをさらに推し進め、全体的にダウンサイジングした1,500cc級の4ドアセダンとして、高度経済成長期を背景に増加していた大衆向けマイカー需要に対応。
ただしライバルのトヨペット コロナ(2代目/3代目)やダットサン ブルーバード(2代目)が1,000~1,500cc級だったのに対し、「大衆向けの安価な量販車は作らない」というブリジストンの意向もあって(※)、2000GT系以外は1.5リッターエンジン1本槍。
(※ただし安い小型大衆車の研究開発・試作は進んでおり、日産との合併後に初代チェリーとして結実)
ボディサイズこそライバルと大差なかったものの、廉価版を用意せず、トップグレードに2000GTを据えたあたり、ミドルクラスというより、後のコロナマークIIやローレルを先取りしたような、「国産車初のアッパーミドルクラスセダン」とも言えます。
さらに毎月のように整備工場で調整したり、定期的にグリスアップなんてしなくていい…つまり「現在のクルマと同じ感覚で乗れる初めての国産車」だったのもトピック。
直6と直4のエンジン/ボディとも2本立てラインナップや車格など、近代スカイラインの基礎はこの2代目で築かれますが、それはあくまで優れた直4エンジン(しかも途中で古いG1から名機G15へ変更)を積む、ショートボディのベーシックモデルあらばこそです。
プリンスが日産との合併後も、セドリック姉妹車としてすっかり日産車になったグロリアとは異なり、独自の立ち位置でスカイラインの存続、ひいては日産プリンス店の独自性が維持されたのも、この2代目スカイラインの優れた性能という功績あらばこそ、でした。
スカイラインの本質とは、「プリンスの魂」として日産の中で生き続けることでしたが、日産というメーカーも、スカG伝説に踊るユーザーも、その本質に気づいて大事にしてきたかどうか、現在のV37でスカイラインが終わるかどうかという今、問われている気がします。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
文・兵藤 忠彦/提供元・MOBY
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