青春が若者を指すようになったのは明治時代になってから
人の人生を春夏秋冬に見立てた言い方のひとつだった「青春」。
これが「青春」ひとつだけ有名になって、若者の時代のことを指すようになったのは明治時代になってからのことです。
明治時代に流行った「青春小説」
明治時代の後半に、「青春小説」のブームがありました。
それは日露戦争が終わった頃の事。
国家に身を捧げるのではなく、自分の人生を自分で考える若者が増えてきました。
それに合わせて、そんな若者たちを描いた作品が増えていったのです。
代表的な作品として島崎藤村の「初恋」、森鴎外の「青年」などがあげられます。
青春を流行らせたのは夏目漱石?
この青春小説の中でも突出して人気だったのが夏目漱石の『三四郎』。
この作品の中で漱石は、「三四郎は切実の生死の問題を考えたことの無い男である。考えるには青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどの火が燃えている。」という一文で、主人公の三四郎の若さを表現しています。
この「青春の血が、あまりに暖かすぎる」という言い回しから、「青春」という言葉が定着したともされています。
まとめ
「青春」という言葉は、古代中国の陰陽五行説からきた「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」という言葉のうちのひとつ。
意外とその期間が長く、30歳ぐらいまでは含められるようです。
そんな青春が終わった後も「朱夏」がやってきて、青春よりも少し成長したバイタリティあふれる年代とされるのだそうです。
「青春はもう終わった・・・」なんて思ってしまう大人も多いかも知れませんが、「朱夏」が来ると思うとちょっと素敵な気分になりませんか?
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