人間、自分自身が一番よく見えていません。自分が分からなければ、如何に生くべきかも分かるはずがありません。安岡先生も言われるように、君子というのは「『中庸』にある如く、貧賤のときは貧賤に素し、富貴には富貴に素し、夷狄には夷狄の境地に素し、患難に対処してもその境地にあって自得する」ものです。我々は君子を目指し、いつ如何なる境地にあっても、その場に遊離することなく物事に処して行くことが大切です。

私自身この自得につき若い頃から随分考えてきましたが、自分が天職と思える仕事は何かは中々分からぬものです。あの孔子も50歳になって漸く天命を知ったと述懐しています。心奥深く潜む自分自身を知るは極めて難しく、人生で色々な経験を重ね行く中で一つひとつ分かってくるものです。それが人間一人ひとり出生時に天が与えし命に繋がって行き、世のため人のためという志になるわけです。我々は真の自分になり、天命を果たすべく命を使うのです。

編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年8月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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