「明智光秀=天海」説

学校では教えない日本史の都市伝説5選!実はあの人はあの人!?
(画像=『FUNDO』より 引用)

多くの作品でもいわれてきたのが、戦国武将の明智光秀が天海という僧侶だったという説です。

これに関しては不明なものも多いものの、様々な関わりがあったことがわかっています。

天海の前半生が不明

天海は高名な僧で、特に徳川家と深くかかわっており、徳川家康や秀忠の参謀として歴史上非常に重要な人物でした。しかし、前半生はあまり明らかになっていません。

優秀な僧にも関わらず、語り継がれる歴史が少ないというのは、明らかに不自然ですよね。

そのため、元々は別のことをしていた人物が天海と名乗って僧として活動を始めたのではないかと考えられているそうです。

様々な関係

明智光秀と天海が同一人物だと思わせる関係は多々あります。

もし天海が明智光秀であるなら納得がいく・・・というような事柄を挙げてみましょう。

明智平

栃木県日光市に「明智平(あけちだいら)」という地名が存在します。この地名に関しては天海が名付けたという伝承があります。

徳川家とゆかりの深い日光に明智の名が刻まれることは少し不自然に感じますが、天海が光秀だと考えた場合は納得ですね。

徳川家の乳母

徳川家光とその子である家綱の乳母には、それぞれ光秀の重臣であった人物の子と孫が採用されているそうです。

家光の乳母に関しては、公募という形で決定されたといいます。その際に採用されたのは、明智光秀の重臣であり親戚関係でもあった斎藤利三の娘のお福でした。

家光の母のお江は、信長の妹であるお市の娘です。

通常であれば、自身の伯父を殺した明智光秀の重臣の娘を、我が子の乳母に起用することは不自然です。ちなみにこのお福は、後に大奥を作ったとされる春日局です。

天海の墓の場所

天海のお墓は、明智光秀の居城があった近江坂本にあります。

天海の前半生についてはっきりしていませんが、生まれは会津であるといわれています。しかし、墓所は日光と近江坂本にあります。

徳川家の側近であったことから、日光に墓があることには納得ですが、明智光秀ゆかりの地、近江坂本にも墓所があるのです。

これも天海=明智光秀であれば納得がいきますね。

他にもいろいろ

明智光秀も天海も、地蔵菩薩を信奉していたことや、徳川の時代に光秀に近かった家のものが不自然に優遇されていたりと、様々な点が天海=光秀の証拠であるといわれています。

まとめ

いかがでしたか?日本の歴史の中でも、都市伝説の域を超えない噂話は多々あります。中には噂話が誇張表現されて広まってしまったということも多いですね。

ただ、簡単に都市伝説だとして片付けるにはあまりにも不思議な一致が多いものも存在しています。

学校で教えてもらう歴史以外にも、このような都市伝説的な歴史を調べてみると意外と楽しいものですよ!

提供元・FUNDO

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