ソ連は第二次世界大戦でドイツに勝ったが、死者はドイツより多い。ウクライナ侵略でも、ロシアの戦死者の方がウクライナの軍民すべての死者より多そうだ。それと比べても相当酷い。

米国が関わる戦争は、道義的にはもっともなことが多く、国際法的には問題が起きないように弁護士的にぬかりない。だからといって、相手方の死者がいくら多くてもいいのか。太平洋戦争でもウクライナでもそうだが、相手方の飲めない和平案に固執して戦争を続けるのが正しいとは思わない。

太平洋戦争でも国体維持を補償したら戦争は半年は早く終わっていた。

国際法の順守はとても大事だが、それだけでは平和など保てない。アングロサクソンの論理には、何でも弁護士を立てて法廷で争い、裁判に勝ったら100%の正義があるという傾向があるが、困ったことだ。

加えて、私が心配しているのは、現在の国際法の世界はヨーロッパ系の考え方支配だし、国際法を遵守させることが日本の国益にもなっているが、だんだん、多くの国際機関が中国などに牛耳られるようになっていることだ。

日米歴史戦という観点では、日本の戦争は植民地解放の戦いであったなどというのは、少なくとも世界で通用するはずがない。

しかし、歴史修正主義などといわれずに、一矢報いようとすれば、ここで示したような、たとえ、国際法に則り、正義に基づいていたとしても、相手方の犠牲はいくら大きくとも問題はないという論理の実質的妥当性を問うというのは、ユニバーサルな支持を受けると思うがどうだろうか。

このあたりも、『民族と国家の5000年史』で説明し、8月9日に開催する講演会で説明したいところだ。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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