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終戦から1年4ヵ月後の1946年12月21日、「学生野球基準要項」として制定された「日本学生野球憲章」(以下、「憲章」)のサイトは次のように書き出されている。少し長いがその前段部分を引用する。(太字は筆者)

国民が等しく教育を受ける権利をもつことは憲法が保障するところであり、学生野球は、この権利を実現すべき学校教育の一環として位置づけられる。この意味で、学生野球は経済的な対価を求めず、心と身体を鍛える場である。(略)

本憲章は、昭和21(1946)年の制定以来、その時々の新しい諸問題に対応すべく6回の改正を経て来たが、その間、前文は一貫して制定時の姿を維持してきた。それは、この前文が、

「学生たることの自覚を基礎とし、学生たることを忘れてはわれらの学生野球は成り立ち得ない。勤勉と規律とはつねにわれらと共にあり、怠惰と放縦とに対しては不断に警戒されなければならない。元来野球はスポーツとしてそれ自身意昧と価値とを持つであろう。しかし学生野球としてはそれに止まらず試合を通じてフェアの精神を体得する事、幸運にも驕らず悲運にも屈せぬ明朗強靭な情意を涵養する事、いかなる艱難をも凌ぎうる強靭な身体を鍛練する事、これこそ実にわれらの野球を導く理念でなければならない」

と、全く正しい思想を表明するものであったことに負うものである。

さてところで、7月26日に行われた全国高校野球選手権神奈川大会決勝は、慶応義塾高校が横浜高校に6対5で逆転勝ちし、甲子園への切符を手にした。

試合は、5対3とリードされた慶応に9回表、3ランホームランが出て決着したが、その直前に「横浜・村田監督、“微妙判定”からの逆転負けに納得いかず『信じられない』 二塁封殺のハズがセーフに『一生懸命やっている高校生はどうなのかな』」との見出しで「中日新聞」が報じた、試合が一時中断するプレーがあった。

ランナー1塁で打者の一打はセカンドゴロ。送球を受けた横浜の緒方遊撃手が2塁ベース後方で軽快に捕球し、右足つま先でベース後部の土を巻き上げて送球するも1塁セーフでゲッツーならず、と誰もが思った球場が一瞬静まった。緒方の足がベースに触れていないと、2塁塁審がセーフを宣したのだ。

TV画面には、呆気にとられた横浜のエース杉山投手の表情が大写し。監督も伝令をたてて2塁塁審に確認を仰ぐこと再度、だが判定は覆らず、ノーアウト1・2塁のピンチとなり、犠打で2・3塁に進塁したところで、逆転3ランが飛び出したというのが9回表の顛末だ。